誰にでもトラウマはあるものです。数日間、風邪で寝込んでいたのですが、色んなことを思い出すいい時間になりました。
前回・前々回の文章を読んでくださった方から、「闇を感じられなかった」などの感想もあったので、私が今も拭い去れないトラウマについて、今回はお話させていただきます。
こども、女性、高齢者、障害者......は「社会的弱者」と言われてしまう存在でもあります。弱者には入らなさそうなほど体格がよく、健康そうに見える私も「弱者」です。
今まで何度と"危ない目"にあったことがあります。
私の人に対して強く言えない性格が関連しているらしいのですが、「簡単にヤれそう」そんな風に思われてしまうことがあります。
もちろん、私の貞操観念はごくごく一般的だし、普段から右手を隠しているような私にとって、恋愛への一歩は......程遠いのです。
そもそも、隠すことを日常にしてしまった始まりは中学生の時の恋でした。
中学生の世界は学校がすべてです。みんながすることは、自分もする。特に女子の世界はとても狭かったと思います。
ある時、好きな人を聞かれて言わなくてはならない空気になりました。私は......好きでもない転校生の名前を口にしてしまいました。転校生という、きっと私のハンディキャップを知らないであろう人物を...。
都会から来た彼はちょっと大人びていて、「そんなところが好き」ということにしてしまいました。ちょうど今くらいの季節、三学期が始まりバレンタインデーという思いを告げるには最高のイベントを控えた時期でした。
その時から常にハンカチを持ち、さりげなく右手を隠すことがやめられなくなりました。せっかく知らないんだから、手がないことを知られたくない...。
「隠そうと思えば隠せる」......ここが私が一番嫌いな自分のハンディキャップの部分です。
中途半端でしかない、気付かない人は気付かない。自分で言い出しにくくなること、すぐ逃げれること、未だに直らないこと、それがとても嫌い。こんなことを言うと大概、自意識過剰で片付けられてしまいますが......。
それから、友人の告白の手伝いをした時のこと。教室から彼女の好きな男子を呼び出した時に言われた言葉も忘れられません。
「お前じゃないよな? ありえねーもんな」
この一言は私にとって、「人間だけど女ではない」と言われた気がしました。あの時「私じゃないよ」と笑いながら走り去りましたが、......悲しかった。
もしかして私に右手があったら違ったのかな?
そんなこと言われなかったのかな?
その後、二十歳の時に付き合ってるつもりでいた方がいましたが、ねずみ講を持ちかけられたりとただ遊ばれているだけでした。
欠損バーに参加し始めた頃はカメラを見ることができませんでした(バーのアイドル・琴音ちゃんと)
健常者のハンディキャップに対する拒絶。
これを見極めるのはとても難しいです。だから私は「君はかわいそう」と言われるのが好きなのです。拒絶されていない、そう思えて。
中学生だった彼らの何気ない言葉を一生ひきずりたくない。なのに、今までずっと引きずっています。
人にこんなことを話すのはとても恥ずかしい。
でも、こうやって文章にすることで変われるのではないか、そう思い書かせていただきました。
私は変わりたいです。
文◎あもり(欠損バー『ブッシュドノエル』所属)
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