幻の本になってしまうのか ヘイト本?回収騒動 『中野正彦の昭和九十二年』問題を考える

まずは読者に判断をゆだねるべきだったのでは(写真はイメージです)

最近、「ヘイト」という表現が拡大解釈されている気がします。ヘイトとは文字通り憎悪であり、僕の感覚では在特会(在日特権を許さない市民の会)が出現した時の、差別街宣などを指しています。差別街宣では伝わりにくいので、「ヘイトスピーチ」という表現で浸透していったと捉えています。

在特会が出現して、朝日新聞(2010年5月7日)で取り上げられる少し前でしょうか。僕は「実話ナックルズ」(大洋図書)という雑誌の編集発行人だったのですが、彼らの差別発言満載のYouTubeを見て、憤りのまま公式サイトのブログに批判の文章をアップしていっていました。また右翼の某会長に在特会のYouTubeを見せてインタビューしたものを掲載。ネット右翼(とは当時呼ばれていなかったかも)と右翼とは明確に違う旨を読者に訴えるなどの編集をしていました。

それから約10年あまり。言葉は年月ともに拡大解釈されていくものもありますが、痛烈に批判されたりすると「ヘイトだ」と安易に使ってしまう人がいます。批判とヘイトは違います。ヘイトとは差別を指す用語と明確にここでは定義しておきます。

樋口毅宏著「中野正彦の昭和九十二年」が発売後、回収されました。容易ならざる事態です。SNS上では「炎上商法か」といった声も散見されましたが、とんでもない。回収する上での費用や取次・書店などの信頼など、版元にとっては痛手でしかありません。当然、作者の樋口氏にとっても世の中に出るべき自分の表現物が、瞬間にして回収されてしまったのですから、心情的にも尋常ならざるものがあると思います。

幸いにして僕は献本して頂いていたので読了する事が出来ました(感想はネタバレしないような形で後述します)。一部書店には前述したように「瞬間」的に置かれたようなので、それを購入した人。あるいは現在Amazonでは4000円~5000円あたりの値がついていますが入手した人もいるでしょう。が、いずれにせよ「幻の本」化してしまうのかなと、思ったりします。

版元のイーストプレスは回収の説明を自社サイト「お詫びと訂正」に掲載しています。そこには「ヘイト」という言葉は出ていません。ざっくり言えば「社内プロセスやコンセンサスの問題」という、少し分かりづらい内容になっています。ただネット上では「ヘイト本だから回収」という事でまとまっており、作者の樋口氏もツイッターでそういった反応に対して「自分の過去のツイートなどを見て差別主義者かどうか判断して欲しい」(大意)旨、発言しています。

僕もそう思います。

【少し話がそれます。
表現の自由・言論の自由とは極論を言えば、何を書いても良いのです。しかし、何を反論されても致し方ないのです。そこで言論と言論をぶつけ合わせて、読者がどう思うのかに委ねるのが言論の自由の理想形だと思っています。あるいは反論で済まない場合もあります。提訴され、裁判沙汰になる事もあります。訴訟の自由のもと現在はこちらの方が主流です。「論争」というものが最近見ない原因でもあります。
ただし、言論の自由は何を書いても良いのですが、その向こう側に歴史が示すように暴力が存在するリアルを忘れてはいけません。あってはならない事ですが、それが起きるのが世の中です。】