かつて日本に「女子アナ・ブーム」が巻き起こったことを覚えていますか? |フジテレビ 1961〜2018年
まず、フジテレビにおいて初めてタレント的な人気を獲得した女性アナウンサーといえば、1961年入社の豊原ミツ子アナです。当時、大人気だった音楽番組『ザ・ヒットパレード』の3代目司会者として、ユーモアあふれる言動で話題を集めました。
ちなみに現フジテレビ会長の日枝久氏と同期となります。しかし、当時のフジテレビは女性社員について「25歳定年制」(1969年廃止)を採用していたため、豊原アナは人気の絶頂にありながらもわずか2年で退社。というか、今では考えられない採用制度です。
ほかに60年代のフジアナといえば、『ママとあそぼう! ピンポンパン』の初代お姉さんだった渡辺直子アナが天真爛漫なキャラクターでお茶の間の人気を集めました。ちなみに当時のフジのキャッチコピーは「母と子のフジテレビ」だったそうで、「結婚して子どもを産めよ」という社風バリバリだったんだろうなと邪推してしまいますね。
その後、70年代になると報道アナたちの活躍がめだってきます。
まず、75年に入社した田丸美寿々アナが『FNNニュースレポート6:30』で逸見政孝アナとコンビを組み、キャスターとしてめきめきと頭角を現していきました。
また、1981年にNHKから移籍してフジテレビで初の女性社員となる(それまで女性は全て契約社員)頼近美津子アナは、その田丸アナと報道キャスターの2枚看板として活躍します。
その一方、80年代に入ると「楽しくなければテレビじゃない!」というキャッチフレーズを掲げて、バラエティ番組に力を入れていきます。その先陣を切ったのが『なるほど!ザ・ワールド』のリポーターを務めた益田由美アナ(77年入社)で、天然ボケかつ体当たりリポートで一躍注目を集めました。
また、TBS『8時だョ!全員集合』に対抗するため、鳴り物入りで『オレたちひょうきん族』がスタート。同番組を担当した80年入社の山村美智子アナ(現・山村美智)、84年入社の寺田理恵子アナ、85年入社の長野智子は”ひょうきんアナ”として、アイドル的な人気を獲得しました。
この”ひょうきんアナ”の登場以後、女性アナウンサーのタレント化が顕著になっていきます。