なぜ、治安が良いとされてきたスリランカで大規模自爆テロが起きたのか 年間5万人の日本人観光客

タミル・イーラム解放の虎は、政府軍に対して自爆テロを厭わず、コロンボ市内では爆弾テロが起きるなど、10年前までは硝煙の匂いが国土に満ちていた。

1948年の独立以来続いた、シンハラ人とタミル人対立には、民族問題の他に、仏教徒のシンハラ人とヒンズー教徒のタミル人の宗教対立という側面もあった。シンハラ人の仏教徒の中には、先鋭化しタミル人への敵意を剝き出しにする者たちもいた。

内戦終結後、次にその集団が刃を向けたのが、イスラム教徒だった。過激派仏教徒の団体名はBBSといい、近年イスラム教徒への迫害を繰り返し、昨年には非常事態宣言が出されたほどだった。

スリランカのイスラム教徒は、全人口の一割ほどで、八世紀にアラブ商人がスリランカを東南アジアや中国との貿易の拠点としたことに端を発する。その後、マレー系イスラム教徒、インドからのイスラム教徒などが流入した。イスラム教徒は十六世紀にスリランカに手をのばしたポルトガル、タミル・イーラム解放の虎からの迫害はあったものの、総じて宗教的な対立を表立たせることなく暮らしてきた。

ところが、2015年には、スリランカから当時イラクを中心に勢力を拡大していたISに共鳴し現地に渡航する者たちが現れた。ISに影響を受けたイスラム教徒の中には、仏教徒に対する不満などから仏像破壊するなどの過激な行動に出た。

今回のテロが不可解な点は、スリランカの国内問題に対して不満を抱いているイスラム教徒が企てたのであれば、攻撃は仏教徒に向けられるはずだが、被害者は、スリランカにおいてイスラム教徒よりさらに少数派のキリスト教徒であり、外国資本のホテルを狙った点である。