秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚が見た風景 常に満たされない“何か”が心を蝕んでいったのか|八木澤高明

東名高速を都心から二時間ほど車で走ると、富士山を真近に眺めることができる裾野インターに着く。私が訪ねた日、雪をかぶった富士山が青空をバックに聳えていた。

インターを降りて数分で加藤死刑囚が働いていた工場が見えてくる。この工場では大衆車から最高級車まで様々な車種の車が作られているが、最高級車が作られるラインは、資格を持った者だけが受け持ち、彼のような期間工は大衆車を作るラインを任されていた。

工場内における目に見える格差も心の中に暗い影を落としていたのではないか。

工場から更に車を十分ほど走らせると、暮らしていたマンションがある。派遣会社が借り上げていて、そのマンションから日々工場へと通っていた。加藤死刑囚が暮らしていた部屋には、既に他の期間工が入居しているのだろう。郵便ポストには、宅配ピザのチラシが挟まれ、部屋の電気のメーターがゆっくりと回っていた。部屋のある階の廊下からは富士山がきれいに見えた。雄大な富士の眺めも、日々の生活に不満を募らせていた加藤死刑囚にはまったく目に入らなかったかもしれない。

日々車を作り続ける単調な労働、どの部屋も画一的な造りのマンション、ひとりの労働者がいなくなっても、常にどこからか人を補充して、工場は稼働を続けている。このマンションにも常に労働者がやって来て、皆と同じような日々を送る。

正しく、加藤被告と同郷のルポライター鎌田慧が何十年も前に記した『自動車絶望工場』と同じ世界が今も存在し続けている。