秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚が見た風景 常に満たされない“何か”が心を蝕んでいったのか|八木澤高明

鎌田慧は日々の労働の中から秀逸なルポを編み上げたが、加藤死刑囚は更なる絶望の深みの中へと沈んでしまった。すべての責任は己の行動から発しているのだが、彼は工場の歯車でしかない自分の姿に対して、不満を募らせ続けていた。

加藤死刑囚は時に、期間工の友人たちを伴って事件を起こした秋葉原へと足を運んだこともあったという。非日常的ともいえるメイドカフェの空間は、彼にとって重い日常を忘れさせてくれる唯一の場所だったのかもしれない。

気軽に踏み込める空間であった秋葉原、それ故に事件を起こす場所は、新宿でも渋谷でも池袋でもなかった。工場を辞め事件を起こそうと決意した時、彼は己にかかわる全てのものを壊したかったのだと思う。

裾野市を後にして、あの日トラックで秋葉原へと向かった東名高速を私も走っていた。どんな思いでハンドルを握りしめていたのか、途中で思いとどまるという選択肢はなかったのか、あの日もくっきりとした青空が広がり、左手には富士山が見えていたことだろう。

しかし加藤死刑囚の目には富士山も何も映っていなかったことだろう。この東名高速は秋葉原の交差点へと真っ直ぐに繋がっていた。(取材・文◎八木澤高明)

あわせて読む:秋葉原通り魔事件・加藤被告の実弟が自殺…公開リンチが止まらない! | TABLO