北緯53度・東経160度に到達か!? 20年前に消息不明「風船おじさん」の足取りを追った!

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 自作のゴンドラ風船に乗って、アメリカへ飛んだ男――。男の名は鈴木嘉和、風船の名をファンタジー号という。あれからおよそ20年、すっかり人々の記憶から忘れ去られてしまったが、あなたはあの『ミスター風船』を覚えているだろうか。

 当時、「奇行」「蛮行」「無茶無謀」など、容赦ない非難と中傷を一身に浴びながらも、自らの生き方を頑として曲げなかった信念の人。現代のメルヘンを体現し、我々にその行動とともに強烈な印象を与えてくれた。

 だが、彼のその後はいまだ消息不明。彼は本当に、一体どこへ行ってしまったのだろうか?

 事件は、平成4年11月23日午後4時30分に起きた。滋賀県能登川町の琵琶湖畔より、大小26個の風船をひのきのふろおけにくくりつけた男が「アメリカに行ってきます」と言い残し、ふわりと空に舞い上がったのだ。

 彼の冒険の目的は、破壊の危機に瀕している米国ネバダ州の泣き砂保護を訴えるためだったという。当初は日本でも泣き砂の現象が見られる島根県仁摩町から出発する予定だったが、「その計画は認められない」とされて、急きょ琵琶湖に変更になったのである。

 現場には地元見物客の他、泣き砂保護の第一人者である同志社大学の三輪茂雄教授、同大学の学生7名、支援者数名、フジTV『おはようナイスディ』の取材クルー、朝日新聞近江八幡支局の記者、能登川町役場の職員などがいた。

 当時の新聞によれば、試験飛行の最中にみんなを欺くようにいきなり飛んでいったと報道されているが、これはウソである。かなり前から取材を進めていた朝日新聞やフジTVが、「彼をあおったのではないか」という誤解をされないために、彼一人の無謀にすがったのだ。当時の現場は明らかに彼がアメリカに行くという雰囲気が漂っており、穴の開いた風船をガムテープでふさぐという大らかさに、誰もが「あんなんでホンマに行けるんかい」と心配したほどだったという。

 だが、男の冒険は無謀は無謀だった。「ヘリウムガスを詰めた風船に乗り、高度1万メートルに上昇すれば約40時間でサンフランシスコに行ける」という計画だったが、もとより彼の自作のゴンドラではそんな機能も耐久性もなく、また彼の持っていった装備の類も、およそ過酷な試練に耐えるものではなかった。

 飛んでいったその後は、25日午前8時35分に、海上保安庁の捜索機『おおたか』が彼の生存を確認したのが最後。前日夜半の救難信号を受けて発進したが、捜索機がゴンドラを見つけると彼は立ったり座ったり、手を振ったり、さらにゴンドラから荷物を次々に投げ落として高度を上げたため、「飛行意志あり」と見なされ、3時間の監視の後に捜索機は帰還した。

 12月2日には、ついに家族より海上保安庁に捜索願いが出される。だが男の行方はロシア、アメリカ、カナダなどの沿岸各国に連絡をとってもようとして知れない。

 この冒険の最大の失敗は、彼が無線機ではなく、携帯電話を持っていってしまったことに尽きるだろう……。

●風船おじさんはどこへ?

 筆者はかつて、真剣に彼の行方を捜したことがある。まず手始めに、筆者はまず彼が飛び立った滋賀県能登川町の琵琶湖に向かった。正確には琵琶湖といっても、能登川町を流れる愛知川の岸辺である。牧歌的な田園地帯が広がるのどかな平地であるが、ここは気球上げのメッカ。視界を遮るものがなく、電柱や高い木もない。風はおだやかで、飛ぶには絶好のロケーションだ。

 事件当日の天気は晴れ、北西の風1メートル。瞬間の様子を見ていた地元タクシーの運転手によれば、「風船は重りを積み過ぎていたのか、あまり高く上がらなかったね。荷物を少し落下させて高度を上げたけど、ずっと低空飛行のまま猪子山の方に飛んでいった。風船もパンパンではなく、ちょっとたるんだ感じになっていたから、アメリカはちょっとなあ……って。あの山を越えたらもう落ちてると思ってましたよ」ということである。

 話にある猪子山は、離陸地点から南南東の方角にある標高400メートルほどの小さな山。風が弱かったため極めてゆっくりと、方向的には風船はまず和歌山に向けて飛んでいった。風船はいきなりアメリカに向かったのではなく、始めは反対方向に飛んでいったのだ。かじや推進力があるわけでない風まかせの漂流飛行。これは仕方のないことだが、その後の運命を考えると、これは大きなロスであった。

 それからは、方角的にまずいと思ったか荷物を落としてさらに高度を上げ、ようやく南西の風に乗った。この時の飛行高度は約2000メートルほどだったと思われる。

 その後の天気も順調、男は東へ東へと、方向的には狙い通りに順行していた。ところが、この風船には決定的な欠点があった。高度が上がらなかったのだ。アメリカに行くには、最低でも高度6000メートル以上のジェット気流に乗らなければならない。だが、この風船は5000メートルすら上がることができなかった。上がらなかった原因は、やはり風船そのものに能力がなかったのだろう。だが、一説には「空から見える風景を撮ってこい」と、離陸直前にフジTVがゴンドラに積み込んだカメラ機材が重かったのでは? という説もある。

 余談だが、ついでに筆者はこの話の真偽を確かめようと、『おはようナイスディ』の当時の番組ディレクターに取材を申し込んだ。しかし、彼はその後フジTVを退社し、現在は保険外交員になっているということで残念ながら真偽は不明のまま。これが本当なら、責任の一端はフジTVにもある、ということが言えるだろう。結果的には、彼の風船は、昼は上り夜は下がる(温度変化で高度が上下する)といったことを繰り返し、平均高度は2000~3000メートルしか保てなかった……。

●予定距離のわずか10分の1

 出発から40時間後の25日午前8時30分。彼はアメリカではなく、宮城県金華山沖800キロ、高度2500メートル地点を漂っていた。距離にすると、琵琶湖からはまだ1400キロほどしか飛んでいない。40時間で1万2000キロを飛ぶはずが、予定時間で約10分の1。思えば、ここでギブアップも潔しであったが、「行く所まで行く」と決めた彼はそうしなかった。彼が付けた26個の風船は塩化ビニール製、中に詰まったヘリウムガスは純度の高い質の良いものだった。ところが、この素材と気体の組み合わせでは、約1日に1割ほどづつガスが抜け、風船は放っておいても勝手に高度が下がってしまう。

 識者の見解では、「海上保安庁の最終確認から早くて3日、最長でも1週間で高度はゼロになっただろう」という。彼が25日にいた北緯約40度・東経153度地点、そこを吹いた風の向き、台風の位置、気圧、その他さまざまな条件を考えると、彼は目指す東の方角からやや北に流され始め、千島列島の島々と平行するように飛んでいったことが予想される。方角的には北東の方角だ。

 そして、彼はその最長といわれる1週間を飛び切ったと仮定しよう。彼の性格を考えると、必要最低限の食料を残して、あとはすべての荷物を捨てても風船の延命を図ったことが予想されるからだ。すると、彼はロシアのカムチャッカ半島界隈まで飛べたことになる。だが、残念だがまだ陸地には届いていない。カムチャッカを左手に見てはいるが、ベーリング海手前の太平洋上だ。ここまで餓死や凍死、墜落死などをしていなければ、風船おじさんは見事着水。今度は風まかせではなく、潮まかせになる。この時点で、まだ彼に元気であれば、ゴンドラが桧風呂だったことがこれ幸いとばかりに、ぷかりと浮いて、さらに大陸に向けて海をかき始めたことだろう。「まだ行ける」と。

 こうして、さまざまな視点や観点、識者の意見などを参考にしながら推理してみると、彼は『北緯53度・東経百60度地点』を最終到達地点として至ったのではないかと推測される。前述の通り、ここは洋上だが、海洋学の専門家によれば「この地点で着水すれば、親潮に乗って東北の三陸海岸、場合によっては千葉の九十九里海岸まで戻されている可能性がある」ということだった。

 もしかして、風船おじさんは日本に帰っているのか!?

●風船おじさんを捜して

 我々が予想した最終到達地点が正しければ、風船おじさんは日本に戻っている可能性が高いということが分かった。ならば、あとは日本の太平洋沿岸を探すだけである。仮に本人は見つからなくても、せめてゴンドラだけは見つけたい。手がかりは、ゴンドラの4面に書かれた『ファンタジー号』の文字。私は、全国に散っている友人や知人を総動員して、「流れ着くならこの辺では」という北海道・岩手・宮城の海岸線を実際に歩いてもらうことにした。私自身は千葉県九十九里海岸の捜索を担当。銚子の玉崎神社から勝浦の八幡岬までの、およそ100キロに渡る範囲だ。だが、「板切れは落ちているが桧ではない、桧はあるがファンタジー号ではない」といったことの繰り返しで、これという成果を思うように上げることができない。そうしているうち各地点から空振りに終わる連絡が次々と入り、ついぞ本人はおろか、ゴンドラさえも見つけることはできなかった。 

 あれから19年。彼は本当にどこへ行ってしまったのか。いずれ筆者は、再び彼を探す旅に出るつもりだ……。

●ひょっとして家に?

 もしかして家に帰っていたら、こりゃスクープだ! と思って、念のため彼の自宅にも行ってみた。

 当時、マスコミからは生命保険だ協賛金目当てだのと、本人がいないのをいいことに叩かれたい放題に叩かれていた風船おじさん。嫌気がさした家族もすっかり引っ越していないものと思われたが、玄関の呼び鈴を鳴らすと、「ちょっとお待ち下さい」という声が聞こえ、なんと、中からは賀来千香子似のおっとりとした美しい奥さんが応対に出てくれた。

 風船おじさんは調律師だったが、奥さんはピアニスト。娘さん3人も音楽家で、現在はご主人の帰りを気長に待ちながら、母娘4人でアンサンブルの音楽会を開催する日々を送っているという。あんな破壊的なパワーを持ったご主人なのだから、さぞや奥さんもスゴかろうと思っていたが、意外や意外、彼も含めて彼の家族は大変なインテリなのである。

「いや、もしかしたら帰ってきてるのではないかと思って来てみたのですが……」と、問うと「こちらが聞きたいぐらいです」というご返事。

 さっそく核論に迫ってみたが、残念ながら風船おじさんはまだ帰っていなかった。帰ってきたかどうかだけがこちらの関心事だったため、あいにくその他の質問を持ち合わせていなかったが、奥さんはその後も実に素直に現在の心境を語ってくれた。彼はどんな状態になっても必ず生きているはずだということ。引っ越さないのは彼が帰ってきたときに困るだろうからということ。自分なりに今現在も一生懸命探しているということ。そして、いつも彼を想い続けているということ……。20年近くたった現在も、奥さんは彼の生存を固く信じ、待ち続けているのである。言葉を確かめながら私に語るその瞳には、彼の死を予感させる一片の疑いもない。心から主人の帰りを待ちわびる妻の気持ちが、痛いほど伝わってくるのであった。

 奥さんと風船おじさんは、事件の6カ月前に結婚した。彼女の左手の薬指には、キラキラと光る結婚指輪がはめられたままだった……。

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Written by 中田薫

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現実はメルヘンとは程遠い。

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