BOØWY、ZIGGY、リンドバーグを手掛けた音楽プロデューサーの転落人生 覚醒剤、難聴、シェアハウス暮らし…そして復活を賭ける

22歳で上京し、阿久悠さん、井上大輔さんに師事し、音楽制作を学び、26歳の時に、ビーイングの創設メンバーとして副社長に就任。32歳の時にはスタッフ200人をかかえるパブリックイメージを設立。

BOØWY、ZIGGY、リンドバーグなど多くのアーティストをプロデュース。

80年代から90年代までヒットメーカーとしてJ-ROCKシーンを牽引。プロデュースした楽曲の総売り上げはおよそ700億円とも言われました。都心の一等地にスタジオ等を完備した30億円の自社ビルも構えました。

「普通の人が一生かかって稼ぐお金が僕の年収だった」(月光氏)

しかし、2000年代に入るとバンドブームは去り、音楽業界全体の不況が進む中に気がつけば借金8億円。会社のみならず、楽曲の権利も売却。溺れそうになりながら泳いでいるという状態の中で覚醒剤に出会ったと番組は報じています。

「寝ないでもやらなきゃいけないような作業があって、『寝なくてすむよ』ということを言われ、それを甘んじて受け入れてしまった僕がもうバカだったとしか言いようがないです」(月光氏)

2017年6月、覚せい剤使用の容疑で逮捕され、懲役1年6カ月・執行猶予3年の有罪判決。逮捕を機に業界からは追放同然。親しかった音楽仲間は去り、親類からも絶縁されてしまいました。今、月光氏は、東京・江戸川区のアパートでルームシェア生活中。ライブハウスで知り合い、意気投合したギタリスト、音楽プロデューサーの23歳の男性と住んでいます。月に10万円ほどの年金で倹約生活をしています。

 

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