「少女たち受難の季節」 横山ゆかりちゃん失踪事件を未解決にしてはいけない!(2)

 最初の事件が起きたのは1979年8月3日のことだった。福島万弥ちゃん(当時5歳)が足利市内の神社の境内で行方不明になった。9日になって河川敷で、リュックサックにつめられた万弥ちゃんの無残な絞殺体が発見された。
 84年11月17日には長谷部有美ちゃん(当時5歳)が市内のパチンコ店付近で行方不明になった。86年3月になって、自宅から約1.7キロ離れた畑の中で、有美ちゃんの白骨化した遺体と衣服が見つかった。
 90年5月12日、今度は松田真実ちゃん(当時4歳)が市内のパチンコ店駐車場付近で行方不明になった。そして翌13日、渡良瀬川河川敷で真実ちゃんの絞殺体が発見さされた。

 一連の事件は、全て足利市内で発生しているうえに、少女を対象に、しかも誘拐の手口も似ていることから同一の犯人による犯行の可能性が高いとみられた。
 捜査は難航したが、91年12月になんと有美ちゃんの通っていた幼稚園の運転手A(当時45歳)が有美ちゃんの殺害も自供したとされたが、物証が乏しく、真実ちゃんの事件についてのみ、起訴されることとなった。

 しかし、公判が始まるとAは否認に転じた。弁護側がーは数少ない物証の一つ(真実ちゃんの遺体に残されていた退役とAのDNAのA型が一致)であるDNA鑑定では300通り余りまでしか分類できず、足利市内でも数百人は同型のDNA型の人間が存在するとして、証拠不十分で無罪を訴えた。
 2000年7月27日までに、最高裁はAの上告を棄却する決定を出したため無期懲役の実刑判決が確定したが、その後8月にA側は日本弁護士連合会の人権擁護委員会に対し、「あくまで無実である」として、人権救済の申し立てをした。

 Aが本当の犯人なのか否かは、私には分からない。しかしゆかりちゃん事件の足利市の連続幼女誘拐殺人事件のいずれもが、非常に類似したパターンで犯行がなされているのは事実だ。そして、ゆかりちゃん事件が発生したのはAが警察に拘留中の時のことだった。

003.jpgゆかりちゃん事件現場の国道

 一連の事件の全て同一犯と断じるのは、あまりにも軽率ではあるのだが、良くなくともゆかりちゃんを誘拐した「あなた」は今もどこかでその罪を罰せられることなく、息をひそめているのは確実だ。もしかしたら再び新たな犯行を犯そうと、機会を狙っているのかもしれない。

 これらの事件の関連性をこれ以上、書き続けるのは控えよう。ただ、いずれも類似したパターンをたどった事件であり、しかも奇妙に太田市とその周辺で集中して発生した、とだけを書きとどめよう。
 それにしても、太田市周辺では、なぜこんなにも犯罪が多発するのだろうか。(文◎石川清「ダークサイドJAPAN 2000年10月号」より加筆)