涙なくして読めないインタビュー 志村けんさんを偲んで、親交の深かった川崎麻世が語る 「大丈夫だ~!」と勇気づけられたあの夜

――志村けんさんとの出会いを教えてください。

「37年前、私が20歳の頃に引越した麻布十番にある居酒屋でよく顔を合わせていましたので、自然に会話をするようになりました。お互いのマンションが隣で窓の高さもほぼ同じでした。窓の外から『麻世〜! 麻世〜!』と聞こえてくるので、窓を開けたら志村さんがジェスチャーで飲もうと誘ってくださいました。携帯電話がない時代ですから。酒を片手に私の部屋にいらしたり、行きつけの居酒屋で杯を交わしたりしました」

――酒、タバコの量で志村けんさんを心配なさったことはありましたか。

「10年程前でしょうか。肝機能の数値ガンマGTPがかなり高かったそうです。『俺は飲めないから麻世が代わりに飲んでくれ』と言われました。それなのに、そのひと月後くらいにはもう飲んでいらしたので心配しました」

――志村けんさんの言葉で勇気付けられたものは、どのようなものがありましたか。

「私がカイヤとの別居を始めて数年後にお会いした時に『大丈夫だ! 一生懸命やれば何とかなるものだ』と言われて、勇気づけらました。

――志村けんさんからどのようなことを学びましたか。

「周りの人を大切にすることですね。最初は少人数でいても、仕事を終えた後輩達が集まって来てみんなを楽しませてくれることですね。こんな場所でそんな事話してもいいのって感じでも。店員への心遣い(チップ)を渡すなど粋な計らいをしていました。最近『粋』な人は少ないですからね。昭和のスターは皆んなそうでしたが」

 

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