池袋の事故から1年 母子を轢き殺した加害者を「違う世界の悪人」とする違和感 あなたがいつ加害者側になるのかは分からない

事故後から、被害者と遺族への悲しみの声と同じくらい、加害者への怒りの声があがりました。「どう見ても反省しているように見えない」「保身以外考えてない」という声は、私も同じように感じましたし、実際に加害者はそう取られて仕方ない発言をしていました。

しかし、私が抱いた違和感は、この事故を起こした加害者を「悪人」として私たちと違う世界の人間にしてしまっているように見えるところにあります。

被害者やその遺族に対しては、誰しもがその想像力で、「その辛さや悲しみは私たちには計り知れない」と言います。それは、自分や家族が殺されたことのない者にとっては当たり前の感覚です。同じように、私は誰かを殺してしまった経験もありませんし、家族がそういうことをしたこともないので、加害者やその周りの人の気持ちも想像に絶するものです。

つまり自分が、その時にちゃんと反省できるのか、一切の保身をせずに行動できるのかわかりません。池袋の事故の加害者となった男の振る舞いを「自分もやってしまうのかもしれない」と思いながら見ています。

それは「私がそういう人間である」ということとは別次元で「人間とはそういう生き物だ」という感覚に近いものです。

 

参考記事:池袋母子死亡事故 飯塚幸三元院長「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき」と発言 | TABLO