「この人」が存命だったらどんな政権批判をしていたのか 竹中労の伝説 権力に本気で牙をむいた反体制ルポライター

「力道山は、労さんたちのテーブルにやって来て、一言、『オウ!』と凄んで帰っていったそうです。労さんにまがまがしいものを感じたのか、それ以上相手にする気がなかっただけなのか、わかりません。光と闇を同時にまとうヒーローだった力道山の魅力を、労さんならではの『芸能の感性』は当然理解していたと思いますが、夜の社交界で権勢を誇って荒れていた力道山を、苦々しく感じていたところがあったのかもしれません」

竹中労のリアル・ファイトを記憶している人、またそれについて書かれた文章はないのか、Fさんに聞いてみました。
「労さんは権力との闘争や体制側の人との論争がテーマなわけで、梶原先生のように自分の武闘について書く人ではなかったので(笑)。でも50歳くらいのときに、故郷の山梨でヤクザの親分をぶちのめして、『これで喧嘩一代の店じまい、土付かずでメモワールを残したい心境だ』と綴ったエッセイはあります。

それと、映画監督の足立正生さんが『映画/革命』という本で語ってるんですが、70年代初頭、労さんは沖縄のヤクザが本土の広域暴力団の傘下に入ることを悲しんでいて、足立さんと平岡正明さんを連れて、沖縄のある高名な親分と会ってるとき、『ヤマトの組の軍門に下りやがって、このクソ親父が』と言って、机をひっくり返したそうです」

それは凄い。しかし、そこまでのことをやって、どうなったのでしょうか。よく無事でしたね。

「足立さんは、労さんがいきなり派手な立ち回りをやるんで平岡も自分も驚いたと書いてましたが、たぶんその親分も、労さんが沖縄に対して並々ならない一体感を持ってる人だということは分かってたんじゃないでしょうか。そこは伝わっていたんじゃないかな」

なるほど。喧嘩でも言霊って大事なんですね。

竹中労の喧嘩屋ぶりを、意外な人が目撃していました。前回、文学界の武闘派第4位にランクインした梁石日です。かつて人文系出版社に務めていたBさんが話してくれました。

「梁さんは1987年にリビアで開かれた『国際革命家フォーラム』というシンポジウムに、竹中さんと一緒に参加してるんです。他のメンバーは、元『楯の会』の阿部勉さんと、牧田吉明さん。中上健次さんも行くことになっていたそうですが、直前にキャンセルになったそうです。梁さんは『ワシがいるんで止めたんやないか』と言われてました。その旅には某キー局の撮影クルーが同行していたそうなんですが、パレスチナを弾圧しているイスラエル側の視点が番組でそれなりに扱われることが分かって竹中さんが激怒したらしい。

ディレクターに対して竹中さんは諸肌脱いで背中の刺青を見せて、『てめえ、砂漠に埋めるぞ』と、凄い見幕だったそうです。梁さんは『刺青見せて怒るなんて、遠山の金さん以来や。迫力あったよ。ワシもあそこまでようやらんわ』と言ってました。竹中さんは、梁さんに対してはとても紳士的で、いろいろと繊細に気づかってくれるかただったそうです」

というわけで、竹中労の知られざる「喧嘩伝説」を紹介してきました。話を聞いていると、口喧嘩も肉弾戦も、同じ喧嘩のうちではないかと思えます。竹中労の言葉には、それだけ本当の怒りがみなぎっていたのでしょうし、肉体感があったのでしょう。それはルポライター・竹中労の原点のような気がします。改めて竹中労の本を読みたくなりました。(文◎編集部)

 

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