ネットで使用しない方が良い用語「マスゴミ」 日本でアメリカのような「分断」が起きないように

これらは厳しく糾弾されなければいけません。確かにマスコミはこのような大事故を起こします。それを頭に入れた上で、それでも「ある程度の真実」は伝えていると見るべきです。少なくとも、金とマンパワーを一般の方より使って、それなりに取材の訓練を受けた記者、ライターが書いています。「間違いはあるかも知れない。けれど報道も尊重しておこう」ぐらいの構え方が良いのだと思います。

けれど「マスゴミ」と言った時点で、議論が「0か100」になってしまいます。「マスコミの言っている事は間違っている」という。50の意見は通りません。これは結構危険な状態です。「聞く耳持たない」という事ですから。聞く耳を持つ事は非常に大事です。

僕は「この意見は絶対相いれない。けれどこの人が言う権利(表現・言論の自由)は守るべき」という立場です。

メディアの末席を汚している身としては、確かに傾向として周囲の記者、編集者、ライターは世間から見れば「サヨク」っぽい人が多い気がします。

因みに僕は右翼民族派の人は二十年前から付き合っていますが、同時に「ネット右翼」の人とも話す事があります(両者は全く別物と僕は見ています)。

「マスゴミ」「アカヒ」などと言った単語はもちろん、戦前の人が使っていたような、ここでは書けない、中国人や韓国人に対する差別語をご老人ではなく、アラフォー、アラフィフの人間が普通に使っているのに少し驚きます。それでも辛抱強く、彼らの言葉を聞いています。彼らも同じ日本人ですから。ここで「分断」しても良い事ないでしょう。ずっと聞いていて、「さすがにそこは少し違うのでは」と思った時は反論します。すると何となく意見交換のような事が出来るものです。

とはいえ、ゴリゴリの差別主義者には僕は鉄の壁を作ってしまいます。これは「言論の自由」には入りません。いや、厳密に言うと「言論の自由」とは何を言っても良い。しかしそれによって何が起きるのか自身が責任を持つ事。だと思っているので、責任を取ってもらうほかないのですが……。

「マスゴミ」(とそれに類する言葉)を使う人は、思考停止に陥っていると自ら表明しているようなものです。

「マスゴミを疑え」。その通り。

そして、その自分の主張も疑え。

「マスゴミ使い」はこの発想がないと思われます。なぜ出来ないのか。楽だからです。ある一方のポジションに立つと敵として認識出来ます。敵には何を言ってもよい。どう攻撃しても良い。シューティングゲームで一々、敵の事など考えません。それと同様です。

関連記事:シャレにならない「ディープフェイク」 ポルノ動画で笑ってられるのも今のうちだけ 誰もが冤罪で捕まる未来が待っている――!? | TABLO