福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

マサ:彼らは別に、一緒には仕事していないんで、ぼくのA社の元請けとして下に使っている会社も含めて確か8人くらい。

奥山:それが14日の夜の段階で3人まで減った?

マサ:そうです。14日の夜にほかの人は避難して3人だけが残って。で、15日の朝を迎えたらすぐ、「いま、線量が高い。危ない状況なんでいったん2Fに行ってください」という話で。もうすぐ朝に。8時か8時半くらいかなぁ。

奥山:そのときは何号機(が原因)ということだったんですか。

マサ:そのときはたぶん14日の晩に、2号機の爆発? あれはよく分からないですねぇ。みんな4号と言ってるんですけど、そのときの情報は「2号のサプチャンが爆発した」という話で、そのときはぼくらも音だけは聞いてるんですよ。免震棟にいて。ズシーンという音がしたんで、「これは地震じゃないだろう」という感じで。で、そのまま朝を迎えたら、「避難の準備をしてください」。詳細は伝わってないんですけど。

【ここで彼は「14日の晩」と述べているが、正しくは15日午前6時12分のできごとを指しているのだと思われる。その時間に4号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしたことが判明するのは後のことで、当時、福島第一原発敷地内の屋外でそれを目撃した人はおらず、東電社内では、4号機ではなく、2号機の原子炉格納容器サプレッションチェンバー(圧力抑制室)で午前6時14分に爆発が起きた、と情報が伝わった。サプレッションチェンバーのことを略して「サプチャン」と呼ぶ。】

奥山:15日朝の音は1回ですか?

マサ:1回ですね。

奥山:6時過ぎということになってますよね。

マサ:そうです。寝てて、朝がた、その音でみんな起きて、それから2時間くらいしてるうちに、「いったん避難しますんで、準備をしてちょっと待ってください」ということで。そうこうしているうちに「随時、各社で、行ける車で、とりあえず2Fまで行ってください」。

奥山:「だれが残る」という話はそのとき何か聞いてますか。

マサ:どっちですか。14日の晩ですか?

奥山:15日。

マサ:15日はもう、東京電力以外はみんな避難です。東京電力もある程度の人たちはみんな避難です。いわゆるフィフティーと呼ばれている人たちだけ、が残ってる状態。でも、それがだれが残ったとかどういう人たちが残ったとかはぼくらは情報ないんで、分からないんですけど、ある程度、ぼくらの担当しているお客さんなんかも東京電力さんなんかも逃げてますからその時点ではみんな。もうほとんどの人が逃げてますから。

【この15日朝、午前8時35分に東京電力本店で始まった記者会見で、東電は次のとおり発表した。
「本日、午前6時14分頃、福島第一原子力発電所2号機の圧力抑制室付近で異音が発生するとともに、同室内の圧力が低下したことから、同室で何らかの異常が発生した可能性があると判断しました。今後とも、原子炉圧力容器への注水作業を全力で継続してまいりますが、同作業に直接関わりのない協力企業作業員および当社職員を一時的に同発電所の安全な場所などへ移動開始しました。」
この記者会見で、「現場に何人いるんですか?」という質問に対して、原子力設備管理部の黒田光課長(当時)は「正確な数字は分かりませんけど、五十人程度プラス・アルファぐらいだという情報があります」と答えた。同日午後3時44分に始まった東電本店の記者会見で、黒田課長は「残ったのが五十数名というふうに聞いていて」「750人くらいが退避をして、五十数名が残ったということでございました」と説明した。】

3月15日朝、多くの人が避難した後になお福島第一原発に残った人々について、やがて海外メディアを中心に「フクシマ・フィフティー」と呼ばれるようになった。

奥山:ふだんは重要免震棟の中に詰めておられるんですか?

マサ:いえいえ、あの施設自体は震災の起こる前の年の秋にできたばっかりなんで。そこはふだん誰もいないというか。何かあったときのための設備なんで、だれもいないんです。ぼくらもふつうに構内の自分の事務所で業務をしてるんで。そこの中にいたっていうのは、11日の晩に「もう線量が上がってるんで、みんな構内の人は入ってください」っていう話になったんで、そこから5日間そのまま。

奥山:あの建物(免震重要棟)の中では吉田所長以下がいるラウンドテーブル、あそこの周りにシマがあるんですよねぇ。

そのとき福島第一原発の所長を務めていたのは東京電力の執行役員でもあった吉田昌郎氏。3月11日に震災が発生して以降、吉田氏は、免震重要棟の2階にある緊急時対策室に陣取り、対応を指揮した。

マサ:そこらへんは全部東京電力さんで。ぼくら請負業者は……、その中のテーブルがあって、いっぱいいますよね。もうひとつ、その脇に部屋がいろいろ会議室とかいろんなのがあって、そこを割り当てられたというか。自分たちでスペースを見つけて、そこに収まって。11日の晩からずっとそこに、「A社はここで」みたいな感じでそこにいて。で、随時、お客さんが「あれやってくれ、これやってくれ」っていうのを言いにきてっていうような状況です。

奥山:中のやり取りっていうのは聞こえたり見えたりするものなんですか?

マサ:いや、あそこはほとんど中心ですけど、別室みたいな感じになってるので。ぼくらは「入らないでくれ」とか、そういうことは言われてはいないんですけど、基本的に入らないですね。

奥山:15日の朝、「2Fに行ってください」っていうのは、部屋に東電の人かなんかが来て?

マサ:そうですね。

奥山:理由としては「線量が上がってるんで」っていうことなんですか?

マサ:「線量が上がってるんで」、そうですね。一応みんな、とりあえず、「本当に重要な運転の人を残して、とりあえず退避することになったんで」っていうお話で。

奥山:「残して」っていうのは言ってたんですね?

マサ:そうですね。全部退去じゃなくて。

奥山:所長とか一部を除いて全員退去って話が前の晩(14日夜)というかその日(15日)の未明から総理大臣官邸でゴチャゴチャあったっていう話なんですけど、そういう話は何か。

マサ:あれねぇ、たぶんねぇ、ぼくの感覚ですけど、本当の全員退避、言葉どおりの全員退避って、出てないと思うんです。吉田所長以下、何十名かは「も、すべて退避」っていう話は、たぶん出てないと思うんです。

奥山:逆に、「残れ」と言われた人というのが見当たらないんですけど…。

マサ:うーん……。

奥山:結果的に50人、みんなボランティアで残ったみたいなんですけど、「残れ」って言われて残った人っているのかなって、ちょっと疑問に思ってるんですけど。

マサ:そこはあれなんでしょうねぇ、きっと。これも想像ですけど、「人情」的なものだと思うんですよ。きれいに言えば使命感みたいなものかもしれないですけど。東京電力の中でも、自分の今の立場、たとえば、東京電力の中でも末端の保安員と、保安要員の人と、それから部長クラスの人間とかは考え方が違うだろうし。そこの人間がやっぱり命令的に「残れ」って言われて残るとか、そういうことではないと思うんですよね。