コロナ収束後でも「花見禁止」「大勢の会食自粛」は続くかも 911から我々は何を学んだのか
これらについては正直なんのためにやっているのかよく分からない。液体に関しては確かに検査は必要だろう。だが、目薬は大丈夫でペットボトルはダメ、という基準がよく分からない。サリンであれば目薬の量でもかなりの殺傷能力がある。善良なるほぼ全員の乗客がこれに付き合っているわけだが、カルロス・ゴーンの逃亡劇の際のプライベートジェットのザル過ぎるセキュリティチェックとは大違いである。一度衝撃的な事件・事故があった場合、慎重であればあるほど良いと考えるものだが、これらはもう当たり前とばかりに続けられている。
その後もテロが発生したが、その後は公共の場からのゴミ箱の撤去が相次いだ。ゴミ箱の中に爆発物があることを懸念したのだ。もちろん1995年の地下鉄サリン事件の教訓もそこには含まれる。
東海道新幹線でも2018年の死傷事件以後、警備員が巡回するようになった。事件後は「上客全員のセキュリティチェックをすべきでは?」という議論も発生したが、さすがに乗車人数が多過ぎるためそれは現実的ではないということでこのような落としどころになったのだろう。
現在の「新しい生活様式」の状況が今後も定着していくかもしれない、と考えるのは上記のような状況が当たり前のように受け入れられているからだ。もう宴会は一生日陰者による悪事になってしまうのかもしれない。
となると、今後も何らかの事件・事故は発生するから人間に対する制限は次々と増えていくことだろう。「100年に一度の〇〇に備える必要がある」という注意喚起の前には「来ないかもしれないじゃん」や「費用対効果に見合うの?」という疑問は封殺される。お前は安全を軽視するのか? と。いや、それは「安心」であり「お気持ち」じゃないのか? という疑問はもはや許されない令和の時代になった。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)