貴方は憶えているだろうか「ライブドア球団名ネット投票事件」を 堀江貴文氏とジェンキンスさんの思い出

インドネシアで曽我さんとジェンキンスさんが再会した時の濃厚キッスの映像が強烈なインパクトを残したほか、当時曽我さんが2ちゃんねるではバッシングの対象となっていたことが「仙台ジェンキンス」に票が集まったことの理由だと思われる。

なぜ拉致被害者なのにバッシングの対象になるか? 不思議な感覚だろうが、「ディズニーランドに行きたいと言った」や帰国時には痩せていたのにその後ふっくらとしていたことから「いいものばかり食いやがって!」と思われたことが理由だ。本当にどうでもいいことにより、当時の2ちゃんねるでは「叩いていい人」認定されていたのだ。

また、インドネシアに行く際も政府のチャーター機を使ったことなどから「税金で贅沢しやがって!」と叩かれたのである。

だから、ライブドア球団のネーミング騒動にしても、ジェンキンスさん一家へのモヤモヤした感覚が反映されていると見るのが妥当だろう。

2015年、佐渡へ観光に行った。お土産店でジェンキンスさんが働いているということで行ってみたら本当にいた。一緒に記念撮影に応じてくれるなど気さくな人物だった。同僚の日本人女性も「ジェンキンスさーん、一緒に写真撮ってあげてよ!」なんて気軽に声をかけていた。ほとんど喋ることはなかったものの、若干の笑顔で写真に写ってくれた。そしてジェンキンスさんはその2年後に亡くなった。

そして堀江氏は今やツイッターで何かを言えばスポーツ紙の電子版が何でもかんでも記事にするなど、相変わらずの注目度を誇っている。しかし、私にとっては現在の堀江氏よりも球団買収、ニッポン放送買収、「改革」というTシャツを着て2005年の衆院選に出馬した時のことを思い出すのである。そして「仙台ジェンキンス」も同時に思い出すのであった。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史」)

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