80人vs1300人! 昭和の喧嘩は半端なかった 伝説の武闘派暴走族「極悪」

極悪を取材したいと思ったのは、今まで誰も「初代」に取材した事がなかったからです(もしかしたら僕の勉強不足で取材されていた方がいて知らなかっただけかもしれません)。昭和の書物では各暴走族の有名人が数十人にインタビューされているものもあり、その中には町屋極悪の有名人Kさんの声も乗っていました。極悪が取材NGという訳ではなさそうです。が、極悪の初代はもう少し前の代なはずでした。

●ネットでは極悪を騙る人物も

約2000年当時、2ちゃんねるやその他の掲示板が全盛期で、極悪についても激論が交わされていました。すなわち「俺が極悪の初代だ」「いや俺が極悪だ」という具合に、です。ツイッターがその頃存在していたらもっと、凄い事になっていたでしょう。改めて言いますが、不良少年史というのはこのように取材するのが難しいものです。

僕は運よく、初代に辿りつく事が出来たのですが実は過程が確かではありません。ネットの書き込みにダメ元で直当たりしたような気もします。大体、取材過程は憶えているものですが、極悪とジョーカーズ(暴走族の方です。横浜に同じ名前の巨大バイカーチームがいました。このチームの取材記もいつか書ければと思います)の2つだけは、ハッキリとは覚えていないのです。もしかしたら紹介だったかも知れません。

極悪の初代は築地極悪、月島極悪、板橋極悪、北千住極悪の四つ。それと、ここからは、初代築地・月島極悪と二代目築地極悪、深川極悪の数名に取材した話を基調していると思ってください。初代築地極悪のメンバーTさんは今も年に一回くらい電話しますが、「築地・月島の連合かな」とも言っていました。初代月島極悪の総長が先輩だからでしょう。

月島極悪の総長Yさんは国士館高校の番を張っており、初代板橋極悪のFさんも国士館の番でした。話を聞けたのはYさんです。Fさんは数年経ってから会う事は出来たのですが、取材の話を切り出す雰囲気ではなく名刺交換だけしました。Yさんの独占インタビューは立場上出来なかったのですが話だけは聞きましたし、初代築地・築地極悪のメンバー数人からの話も取材出来ました。が、何分彼らも記憶が曖昧だったりもして、何度も言いますが不良少年史の取材は難しいです。

極悪の結成は、当時、魚河岸があった築地と隣接する街の月島。それと当時は、右翼的思想の真っただ中にあった国士館高校のメンバーであった事は確かでしょう。それと板橋極悪と北千住極悪。

総じて僕の取材経験で言うと、港町の人達は気が荒く、暴走族が派生しやすいように思います。とは言え都内で言うと世田谷、杉並も暴走族が多いので、この法則が当てはまる訳ではないのですが、少なくとも「極悪とは」を定義すると「東京の下町の不良少年たちと国士館高校のメンバーが作った」とチームだと思います。

すぐ後に荒川区を中心とした町屋極悪。浅草を中心とした三ノ輪極悪。足立区を中心とした梅島極悪が出現します。町屋極悪の初代のSさんにも話を聞く事が出来たのですが、極悪は不思議なチームでこれだけ、極悪という名前があるのに、他の暴走族と異なり、連合を組まなかった事です。

連合で有名なところでは関東連合やCRS連合、東京連合、武州連合などがありますが、極悪はなぜか組まなかったので孤高のようなイメージを取材当時は持ちました。

元々、築地極悪は結成前から「歩き部隊」と称し、近所である銀座を練り歩いて他地域の不良少年たちに喧嘩を売っていました。極悪結成前ですが既に、喧嘩チームの下地は出来ていたようです。

極悪の起こした抗争で、最も有名なのは「大井ふ頭事件」でしょう。この事件によって一気に極悪の名前が都内の不良少年たちに広がったのではないでしょうか。何せ極悪80人がCRS連合1300人(諸説あり)に突っ込んでいったという事件でした。昭和の喧嘩は規模が違いますね。