80代東京不良少年史「三ノ輪極悪」 浅草の不良少年たちの生き様

三ノ輪極悪九代目「タブさん」(写真提供@タブさん)

1980年代と言うと「バブル」真っただ中な訳で、不良少年のファッションや有り様も変わっていった時代でした。すなわち、チーマーの台頭です。1980年代に登場した当時はチーマーとは言われずチームか、あるいはチーム名で呼ばれていました。東京都の私立明大中野高校が発祥と言われていますが、諸説あります。

YouTubeでも言いましたが、不良少年の「正史」というのはヤクザのそれと違って中々語る上で難しいのです。ヤクザの場合、警察が例えば警察白書などで「公的文書」として発表します。いわば国で認めている「アウトロー集団」です。

1000人以上の連合にわずか80人で突っ込んでいった伝説の暴走族『極悪』 歴史上の事件となった「大井埠頭事件」の真相とは|ニュースサイトTABLO – YouTube

が、不良少年の場合、「●●という暴走族は●●さんが作った」とします。これは何人もの人に当たり、そして肝心の創始者に当たれば真実性あるいはと真実に相当たる理由が出来ます。ところが、2代目以降になると語るのが難しく、人によって言う事が違うケースが間々あります。これは、不良少年の歴史がヤクザと違い口伝のよるところが大きいからです。なので、ここではあくまで当方が聞いた話をお伝えする事に致します。

チーマーの始祖は明大中野の「ファンキース」とされています。僕の同級生が高校2年1982、3年頃に作ったと「言われて」います。かつて「AERA」で3人くらいの元ファンキースがチーマーの元祖として登場しました。それの影響も大きいのかなと思います。が、本稿はチーマーをテーマとしていないのでそれは後述します。
チーマーの登場は既存の不良少年たち、すなわち暴走族へのアンチ―テーゼの意味もあったのだろうと思います。「パンチ? アイパー? カッコ悪いよ。女の子にもてなきゃ」という意識でした。

が、「バブルの不良=チーマー」という図式は成り立ちません。暴走族は当時もガンガンに走っていました。その中で暴走族の有り様を変えたチーム、それが「極悪」です。
極悪は「東京の下町」「国士館高校」の少年たちが1970年代に立ち上げた暴走族です。僕は、初代築地・月島極悪のメンバー数人、及び総長のYさんに直にインタビューしました。それによると築地、月島、板橋、北千住が出来て、それ以降、足立区の梅島極悪、荒川区の町屋極悪、そして浅草の三ノ輪極悪が結成されました。国士館卒の初代板橋極悪のFさんとは名刺交換のみさせて頂きました。この暴走族のユニークなところは、同じチーム名であるにもかかわらず、「連合」を組ますそれぞれが敵対していたりする点です。

東京を代表する下町浅草。祭りが盛んな事でも知られているこの街でも当然、不良少年が存在し、それは他地域よりももしかしたら、荒々しかったかも知れません。僕の取材感だと「祭りが盛んな地域」「港町」は不良(ヤクザ)および、不良少年が多いような気がしています。
浅草の不良少年たちが結成した三ノ輪極悪のメンバー「タブさん」に話を聞く事ができました。と言っても明大中野中学・高校の同級生なのですが。

―ー「三ノ輪極悪」って地域的にはほぼ浅草だよね。

タブさん ほぼっていうか浅草。俺は九代目。