メディアはもっとゲリラ的になるべきでは 当事者に取材すると見えてくるもの│プチ鹿島

あのとき政府関係者は原稿に「のりが予定外の場所に付着し、めくれない状態になっていた」として「完全に事務方のミスだ」と釈明しました(共同通信)。え、のりが付いていた?そんな言い訳ある?誰にでも間違いはあるけどこういう物言いにこそ政権の体質が出ていないか。そう思うと本当に「のり」が付いていたのか気になって仕方なかったし、なんでメディアは言いっ放しにさ
せてるのだろうと不思議でした。ツッコミどころなのに。

すると遂に広島在住のフリー記者、ジャーナリストの宮崎園子氏が調べた。広島市に公文書開示請求をして「原本」を確認。その結果「のり付着の痕跡は無かった」ことがわかったのだ(オンラインメディア「インファクト」に調査報告を発表)。これぞまさに「当事者」に取材した傑作ではないでしょうか。ジャーナリズムであるのはもちろん、私のような野次馬の期待にも応えてくれた仕事でもありました。

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そうそう、今年は東京五輪・パラリンピックがありましたがメディアのねじれ現象を感じた。新聞にとってあれだけツッコミどころが多かった五輪は格好のネタ対象だったはずでしたが、大手紙はスポンサーになったせいかおとなしい印象でした。その代わりにゲリラ的立場であるはずの週刊誌やタブロイド紙や週刊誌が生き生きしていた。週刊文春の五輪スクープ連発は記憶に新しい。ゲリラが王道を制したように見えた。でも、メディア全体がもっとゲリラでいいんじゃないですかね?(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)