お辞儀と愛国心について考えてみた 入江聖奈選手の「おじぎ」が道徳の教科書に載る違和感 │プチ鹿島

この問題の正解は「二、」なのです。

そんなのどれでもいいじゃねえか!と思った私やあなたは道徳的に「不正解」なのである。じゃぁ「内心の自由」はどうなるのか?政治と教育の距離がどんどん近くなっていないか?という点を映画は問いかける。

《軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」が戦後初めて盛り込まれた。2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。》(『教育と愛国』HPより)

こうしてみると東スポが書いた「入江聖奈がレフェリーから注意を受けるたびに丁寧にお辞儀をする姿」という記事が道徳授業の教材になるのも当然のような気がしてきた……。

入江個人の礼儀正しさが話題になるのはよいとして、これが「教材」となるのはちょっと考えさせられる。そして一貫してお上が好む「道徳」はブレていないこともわかるではないか。
実はおじぎの問題は始まりに過ぎない。いま教科書はどうやって子どもたちの前に登場するのか。その過程だけでもギョッとする。挨拶とおじぎぐらい好きにやらせてよ、という方にはおススメの映画です。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)