「論破」がカッコイイとされる風潮にそろそろ終結を 「真実とは何か」を追求すべき│プチ鹿島

「論破」と聞くと、私は子どもの頃の風景を思い出します。落ち度を指摘されると「それ、何時何分何十秒? 地球が何回まわったときー?」と言ってごまかす子どもがいた。

引用した記事の例で言うと、専門家もいきなりこの手で話をずらされると閉口するのだろう。でもそれは「論破」ではなく呆れられているだけだ。「大人はそんなこと言わない」と驚かれているだけだ。だから別に「論破」はカッコいいものではない。

さて昨年末のこの記事ですが、この記事をツイートする人がここ数日おられる。なぜわかるかといえば私はこのデジタル版の記事にコメントしているからです。今まで書いてきたようなことをコメントしていたのですが、改めて紹介してくれる人をまた見かけます。

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「論破」という言葉がここ数年あふれているといいますが、それに夢中になるよりは、興味を持ったテーマがあったら専門家の本などを読み直す時間に充てたほうがよいと思います。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)

●参考記事

※『歴史修正主義を扇動した「論破」文化 感情に訴える言葉の危険性』(2021年12月6日 朝日新聞デジタル)

※『大学ゼミの討論で「はい論破!」を繰り返す痛い学生たちが増殖中』(2021年7月1日 マネーポストWEB)