「論破」がカッコイイとされる風潮にそろそろ終結を 「真実とは何か」を追求すべき│プチ鹿島

写真はイメージです

昨年末にこんな記事がありました。

『歴史修正主義を扇動した「論破」文化 感情に訴える言葉の危険性』(2021年12月6日 朝日新聞デジタル)
《相手を言い負かした方が正しいと思わせる「論破」という言葉がいまネット上にあふれています。社会学者の倉橋耕平さんは、この言葉の持つ効果を巧みに利用したのが「歴史修正主義だ」と指摘しています。1980年代末に生まれた「論破カルチャー」が社会にもたらす負の影響について、聞きました。》

ここで紹介されている倉橋耕平氏の「歴史修正主義とサブカルチャー」(青弓社2018年)は面白かったです。第二章は『「歴史」を「ディベート」する』でした。

いわゆる歴史修正主義者は討論ではなくディベートを好むという。真実よりも説得性が重要視されるからである。事実を相対化し、他者を言いくるめることそれ自体が目的の中心になる。こうした言説のうちには、「論破」への執拗なこだわりがみられると。

記事では倉橋氏はこんな解説もしています。

《そもそも歴史とは、史料をもとに専門家が論じるものです。ところが、ディベートの土俵にのると、研究者が歯牙(しが)にもかけない歴史観が、対抗する言説であるかのように格上げされます。長年かけて培われた先行研究の蓄積がゼロにされてしまうのです。》(同前)

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