新聞の社説はなぜ新成人に偉そうなのか そして伝説の「尾崎豊社説」で炎上した朝日新聞の今年は?│プチ鹿島

朝日『若者の参加促す社会に』

読売『コロナ禍の苦難を今後の糧に』

毎日『初の18歳「成人の日」 社会全体が変わる機会に』(1月8日)

産経『自分を大切にする大人に』

東京『永遠の助走を始める日 成人の日に考える』

各紙のポイントは「18歳成人」として初めて迎える成人の日だったことについて。伴う責任の大きさが書かれていますが、「大人の側の責任」という視点も多かった。
特に朝日新聞は「尾崎豊」で一世を風靡してから慎重になったのか、ここ数年は「大人の側の責任」を力説しています。

今年も《日本社会が若者にとって参加しやすい環境になっているか、大人の側が点検する機会としたい。》と大人に呼びかける社説になっている。あの尾崎豊社説を忘れたいのでしょうか。

読みどころがあったのは東京新聞でした。若者と気候変動を取り上げていた。ある高校生は国会議員を招いて環境問題に関する討論会を開いたことがあった。

「気候危機を回避するのに不可欠な『五〇年カーボンニュートラル(温室効果ガス排出実質ゼロ)』。目標が達成できたとすれば、その時の日本は、どんな社会になっているのでしょう」

と問うと、

「そこは五〇年を生きる君たちに考えてもらいたい。私たちはもう、いないから」

という答えが返ってきたという。

若者と大人のギャップ。環境問題や自然災害のニュースではとくに顕著です。「読売中高生新聞」が読者から募った2022年の10代ニュースを見ると、10代では「トンガ 大規模噴火」がランクインしていました。全世代では21位のニュースが10位に入っていた。自然環境に関する当事者意識が大人よりも上という読解ができます。大人がこんなことも考えることができるのも成人の日。来年の社説はどんな切り口でしょうか。(文@プチ鹿島 連載「余計な下世話」)