平成のお笑いは「くだらなくて面白かった」 令和のお笑い芸人を育てた番組

【1】イトーヨーカドーの看板が映る。そこに2人の若い男が登場。男A「伊藤!」、男B「ヨー! 加藤!」。

【2】複数のデブが突然横浜マリノスのユニフォームを着て前に立ち塞がる。テロップとナレーションが登場し、そこには「横幅アリマス」と書かれている。

【3】水前寺清子の大ヒット曲「365日のマーチ」に合わせそのサビ部分でミシンで何やら縫っている女性が登場。その際の「腕を振って…」の歌詞に合わせ「ミシン針が指に刺さりカンツーカンツー!」となる。

【4】『大阪で生まれた女』のサビ部分はこの歌詞に最後に「さかい」がつくが、映像では大阪の水商売風女性が登場。倒れた挙句踏んづけられる。そして「大阪で生まれた女が他界」と出るのだ。

まさにバカだらけのダジャレなのだが、これらに対してMCのタモリは爆笑しながら「バカパク」等の評価をしていた。これらは『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」でも登場するようなものではあるが、「ボキャ天」は同じ系譜ではあったもののゴールデンタイムでの放送だったため、規制が厳しかったのかもしれない。

あの時のお笑いよ、帰ってくれ! とは思わないものの、毒舌と下品なネタで成り上がった当時の芸人が今はしたり顔で情報番組のMCをやったり、社会問題について意見する良識的な「ご意見番」になっている様を見るとかなり白けてしまう。さらに言うと「芸人のゴールは司会者だったの?」とも思ってしまうのである。(文@中川淳一郎 連載「俺の平成史)