BUCK‐TICK櫻井敦司さん逝く 仲間である有名ミュージシャン達からの惜しむ声

1987年BOØWYとのツアーの車中で同じ群馬からカッコいいボーカルのバンドがメジャーデヴューすると耳にしました。それが桜井くんボーカルのBUCK-TICKでした。 撮影時はいつも彼ら独特の、立て髪で、その後、流行ったビジュアル系の先駆者と認識しています。柔軟かつ、ぶれない繊細な精神力 が、長きに渡り、オリジナルメンバーでの ゴシックロックを奏でてきたと思っています。 類稀な、容姿と、ボーカリストとして天性の感性と人としても愛される方でした。 似てる美意識のISSAYくんとのセッションは独特な世界感を創り出しました。 残念です。夜空に、輝くスターがまた一つ増えました。ご冥福をお祈りします」

櫻井さんもファンであることを公言していた DER ZIBETのヴォーカリストISSAYさんは、8月5日不慮の事故により永眠。

BOØWYの布袋寅泰、高橋まことが在籍したこともあるAUTO-MODのボーカルGENET(ジュネ)。

「BUCK-TICKは、ある意味不思議なバンドだ。 BUCK-TICKの絶頂期は、決してデビューした当時のバンドブームの頃では無い、 丁度数多のバンドが絶頂を迎え、解散、活動停止に追い込まれる中、20年前頃から、新たな若いファンが客席に見え始め…その音楽は、毎回コンセプトを変えながら、決して古臭くなる事は無く、しかしマニアックな音楽になる事も無く、分け隔てない客層に最高にカッコいい音を聴かせて来た。

そして、僕が思うに、BUCK-TICKの絶頂期はまさに今なんじゃないかとおもっている。他のバンドが、過去の栄光を維持するのに必死になって行く中、デビューから35年も経ちながら更に進化し、そして周りの勢いも更に加速して行く…こんなバンド他に見る事はない。それはメンバー個々の音楽的技量、超センス、音楽的知識があってのモノであり、又ヴォーカルの櫻井敦司の超個性があっての賜物なんじゃないかと思ってます。

あの男でさえ惚れるような艶っぽさ、あの歌声、そしてあの歌詞の世界観、どれをとってもあっちゃんしか出せない、オンリーワンな物ばかり。 正にロックの神に愛された男なんだと思っていた。そんなあっちゃんと4人の男達が作り上げたBUCK-TICK絶賛現在進行形の今、突然の悲報… あまりの衝撃に僕は声を失ったよ… いつもこれ以上ない様な優しさで声をかけてくれていた君が、先に逝ってしまうなんて… 今正に絶頂期の君が召されてしまうなんて… ロックの神様は、それ程彼を愛していたのか… それにしてももう少し待ってられなかったのか… 神の意思には誰も贖う事は出来ないのかも知れない… でももう少しだけ… あっちゃん、ありがとう、君が優しく接してくれた思い出は忘れないよ。 残念ながら、僕はそれ程ロックの神様に愛されていない様なので、もう少しこちらで歌っていきます。あっちゃん、安らかに… 合掌」

櫻井さんの背中を見てデビューした氏神一番(カブキロックス)は、櫻井さんに遭遇した 日々を偲びました。

「深夜の六本木のロックバー『ブーフーウー』でLÄ-PPISCH (レピッシュ)のMAGUMIさん、の紹介でご挨拶させて頂きました。 いつも、アイスミルクをカウンターでクールに飲んでいた櫻井さんは、ステージのままの近寄りがたいカッコ良さ、カリスマ性があったでござる。当時、酒豪伝説はありましたが、身体を気遣ってミルクで体調を整えていらっしゃった と感動しました。LIVEをGIGという呼び名に した先駆者でした。櫻井さんの背中を見て、その後にメジャーデビューできたでござる。 最期まで歌い続けた姿真のロックスターのご冥福をお祈りします」

元ZIGGYのドラマー大山正篤 。

「後輩なのに兄貴のような存在でした。デビューが同期で一時期はプライベートでも良く遊んでいました、彼は間違いなく日本の、いや世界の音楽シーンの宝でした。友よ安らかに」

REDZ(AURA、湾岸の羊)。

「貴方は最後まで美しきロックアイコンロックスターでした。心からリスペクト!。櫻井敦司さんご冥福をお祈り致します」

筆者も東京・池尻大橋付近のレストランバーで、深夜にBUCK-TICKのメンバーと遭遇したことがありました。 仲の良い同級生のように仲睦まじく、メンバーと談笑していらした櫻井敦史さんの笑顔は名作映画のように脳裏に焼きついています。 ご冥福をお祈りします。 (文@霜月潤一朗 写真@加藤正憲)