「六本木フラワー事件」について 元関東連合幹部・石元太一服役囚からの手紙を公開します(後編)

(前回より)準暴力団規定された関東連合やそのほかの暴走族OBグループですが、そのきっかけとなった「六本木フラワー事件」。そこで図らずも主犯とされ懲役15年の刑を科せられた元関東連合幹部・石元太一氏の手紙を前回から引き続き、公開してみます。あの事件とは何だったのか。(編集部・久田将義)

石元太一氏からの手紙

―― 「反証」(註・石元氏の著書)内でもその事について触れました。

 「俺が話しはじめて間もなくの平成24年1月26日、H弁護士が面会に来た時に突然俺に『駄目だ、君は(検事の考えで)実行犯グループに入れられている。もう認めて』と言ってきた。『えっ? 意味が分からないんですけど。自分の立場で何を認めろっていうんですか!? 』『いや、もう指示役として考えられていて、切り離せないからさ』

俺はその言葉を聞いてすぐに勘繰った。H弁護士はこれまで俺に『君は一番起訴されない可能性があるのだから、とにかく(事件の関与から)離れて!』と言っており、前回面会に来た1月22日には、俺には畑中という名前の書かれた一枚の名刺を見せ、『この検事が今回の音頭をとっているみたいだから、君のことも含め直接掛け合ってくるよ』という話をし、それを聞いた俺は、さすがヤメ検の先生は頼もしいなぐらいに思っていた。

しかし、その掛け合いから帰ってくるなり、この態度の変わりようが畑中という検事と何か取り引きがあったのだろうと思った。H弁護士は、とにかく殺人罪から傷害致死罪に罪名を落とすことに躍起になっていた。それにその頃はまだ、世間では見立君の存在があまりクローブアップされていなかった。H弁護士は元々、見立君の支援者の紹介だ。俺と見立君を天秤に掛けなければいけなくなった時には、俺よりも見立君を第一に考える方針を取ることは明白だろう。

俺を今回の事件の指示役だったと認めさせることで、それらのことを取り引きしたのではないかと俺は考えた。というか、よく考えてみて欲しい。検察にこの人間を起訴します、有罪にして何年求刑します、と言われて、はい、そうですか、じゃあ、本人に認めるように言っておきますね、なんて検察の言い分を全く鵜呑みにして争うこともしないアホな弁護士が一体どこにいるのだろう」

現に上告審の時に、私がお願いしたヤメ検であり、学者でもある山川一陽弁護士と、同じくヤメ検である入江源太弁護士は、殺人罪から傷害致死罪に落ちた事を「石元さんまでは殺意の認定は出来ないだろうが、実行犯に関してはバットで頭を叩いているのだから、殺人罪で起訴していてもおかしくない」「このような判断をしたら普通は検察内部で『何て弱気な判断をしたんだ』と笑われてしまう」と言って訝っていました。