部屋が散らかるのは調子が悪い証拠
早く寝なくちゃ、と焦るほどに眠れない夜。
わたしは、真っ暗な部屋のなか、イライラしながらベットの足もとで探しものをしていました。朝刊を配るバイクの音が聞こえて、「ああ、早く寝なくちゃ」とますます焦ります。バイクの音はすぐに通り過ぎていきましたが、探しものは見つかりません。
部屋を明るくして探せばいいのですが、ここで蛍光灯をつけたらますます目が覚めてしまう...という強迫観念でつけられません。手さぐりでずっと探しているiPhoneの充電器はどこにも見当たらず、うんざりしてきます。どうせ充電器が見つからないと眠れないのだから、早く電気をつければいいのに。
体はベットの上のまま、上半身だけ下を向いて探しているため、髪の毛がパラパラと顔にかかっては、保湿化粧水のせいで頬にはりつきます。イライラするし、充電器は見つからないし、なんだか、だんだんどうでもいい気持ちになっていきました。
このままだと寝ている間に充電が切れてしまう。
もういっそ、このままアラームをかけずに眠ってしまいたい。
発売日を楽しみにしていた本は、本屋さんの茶色いカバーをつけたままほこりがかぶっていて、まだ1ページも開いていない。気にいっている服は、今朝の気分に合わなくて、ヤケになって着替えたままの形で床におきっぱなし。1箇所だけ画鋲がとれたポスターは壁から剥がれかけているし、ポストに投函しなくてはいけない封筒はどのカバンに入れたんだったっけ...。
今すぐこれらを片付けられないなら、大事なものもぜんぶ捨ててしまいたい。
枕もとにつけた間接照明の薄明かりのなか、自暴自棄になりそうな気持ちを必死になだめていました。
部屋が散らかっているのは、調子が悪い証拠です。
渡せなかった絆創膏をこっそり隠した朝
なんとか朝になり、流れ作業で身支度をし、せめて駅までの5分は好きなアイドルの曲を聴こうという気力もわいてきました。やっぱり夜はろくでもないことを考えがちだな、と、少しだけ余裕をもった気持ちで、ポケットに入れていたイヤホンを取り出すと、「もう一生なおらないのでは?」と思うほどに絡まっていました。
ああ、もうこのまま捨ててしまいたい...こんな日は、一瞬で気持ちがすさみます。焦ったりイライラしてパニックにならないようにするために、「ていねいに、ていねいに、大丈夫、大丈夫、」と自分をなだめ、歩きながらイヤホンのケーブルを少しずつほどきます。
ちょうど駅についたところで、きれいにほどけたイヤホンをiPhoneにさして再生をすると、右耳だけ音がしません。きっと断線しているのでしょう。確認をするのもいやになってしまい、ほどけたばかりのイヤホンをまた適当にポケットに押し込み、何もなかったように、駅のざわめきを聴きながら歩きました。
ほんとうにもうなにもしたくない。消えてなくなりたい。もう、どうでもいいや。
駅のホームにのぼると、スーツの女性が靴を脱いで、かかとにティッシュを当てていました。靴ずれをしたのかもしれません。
偶然にも、前日、Amazonのダンボールを手でむりやり開けようとして指を切ったわたしは、絆創膏をたくさん持ち歩いていました。カバンの外ポケットを開けて、絆創膏を取り出したところでハッとして、取り出した絆創膏がだれにも見えないように、そっとポケットの中に隠しました。
心臓のあたりが息苦しくなって、頭皮がサーっと冷たく感じます。
絆創膏の存在を忘れるように、ポケットから手をだして、できたばかりのお店の外にあったチーズホットドックの看板に目を向けます。
「大丈夫、渡そうとしたことも、隠したことも、だれも知らない。」まるで通り魔のような気持ちで、電車に乗ります。早くその場から逃げたい一心でした。
こういうことは、ときどき起こります。
たとえば、仕事でだれかが困っているとき、効率の良い方法を知っていても、「自分なんかがなにを偉そうに/図々しくアイディアを出そうとして/余計なことしないで黙っていろよ」と頭の中で乱暴な声がして、口を開きかけたまま立ち尽くしてしまいます。
自暴自棄状態になっているときは、手を伸ばせること、手伝えることにすら躊躇してしまいます。そしてこんな風に、「自分なんかが...」と思うときは、大抵だれかにも不便を生じさせます。それに、自分のことがもっと嫌いになります。
なぜ、渡せなかったのだろう。
一生イヤホンは絡まり続けるし、自分はずっとこうなんだ
もう、このまま一生イヤホンは絡まり続けるし、まいにち部屋は散らかるし、充電器はすぐなくなるし、人が困っていても見ないふりをするし、1分もかからないほど適当に切った両手の爪は深爪ぎみだし、熱風で雑に乾かした髪の毛はチリチリにねじれてしまったし、断線したイヤホンは捨てもせずベットの上に放り投げたままだし、自分はもうきっと、ずっとこのまま。ずーっと、ずーーーっとこうなんだ。
散らかった部屋で、ほこりをゆびで拾ってゴミ箱にいれ、「ゴミは自分でした、すみません」という気持ちで床に座ってDSをやっていたら、いつのまにか帰ってきていた家族が部屋に入ってきました。帰りに寄ったらしいコンビニの白いビニール袋を顔のところまで持ちあげ、「プリン買ってきたよー、あ、ゲームしてるの? ドラクエ?」と嬉しそうに画面を覗き込んできます。
わたしが自暴自棄になりかけていた部屋の散らかり具合については、特に何も言いません。他人から見たら、「まぁ散らかっているけれど、人生破綻するほどのことではない」のでしょう。(薄々は気づいていました。しかし、自分のことは100倍くらいのマイナスを上乗せしてしまうのです。)
その日は、プリンを食べて、久しぶりにクイックルワイパーをかけてから眠りました。
部屋は散らかったままでしたが、ほこりをとったというだけでも少しだけ落ち着きました。
翌日のお昼休み、電気屋さんに行って、絡まらないケーブルのイヤホンを買いました。ケーブルがサラサラとしていて、いくら乱暴にポケットに入れようとぐちゃぐちゃにはならず、取り出してからすぐに使えます。
「どうせわたしは一生、イヤホンが絡まり続ける人生なんだ」という気持ちは1,200円で解消しました。...実際はポイントを使ったので、400円で解消しました。
自分への暴言がとめられない日がまた来ても、
帰り道、ドラッグストアに立ち寄って、少しだけ高い敏感肌用の化粧水と、少しだけ高いヘアオイルも買いました。
レジに行く途中、「自分なんかが」の呪いの呪文を唱えそうになりましたが、ゆっくり歩いて追い払います。4千円と少しを支払い、いいんだよ、と繰り返しながら家に帰りました。
「大丈夫、自分なんかでも、自分にちょっといいものを買ってあげてもいいんだよ。」
化粧水が入っている透明プラスチックの箱を開けるときに、また指を切ってしまいました。コートのポケットには、あのとき渡せなかった絆創膏が入ったままで、「なんで渡せなかったんだろうね」と自分で自分のお母さんのような気持ちになりながら、指に巻きます。あの女性も、わたしのように、「ぜんぶどうでもいいや」という自暴自棄な気持ちになっていたかもしれません。出かけるときの靴ずれほど嫌なものはないもんな...。
洗面台にヘアオイルを置いてみたら、なんだか泣けてきました。
手にとって髪になじませ、くしで丁寧にとかしながら、午前3時の焦りを思い出し、愛おしいような悲しいような気持ちがします。雑に扱ってしまった髪が健康な状態にもどるころ、わたしもひとに優しくできるでしょうか。
眠れない夜も、だれかに手を差し伸べられない日も、自分への暴言がとめられない日も、これからまた何度もやってくるはずです。でも、自分を雑に扱ってしまう日はできるだけ連続させないでいたい。できるだけ、の範囲で、できるだけ。
そして、できるだけ後悔をひきずらないように、絆創膏を数枚、またカバンにしのばせてみたのです。
(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第二十五回)
文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。
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