その前に、できること
「あのコインロッカー、いつの間に使えるようになったんだろう」
少し大きな荷物がはいる一番下の段。その右はしのボックスは少し前まで、使用不可の張り紙がされていたはずです。隣のボックスは使っていいんだ...と少しギョっとしたのでよく覚えていました。
あらゆる情報が雑に配色されている繁華街で、道のはじにさりげなく設置されていた灰色のコインロッカーは、よっぽど注意をしていないと風景に埋もれて見落としてしまいます。あの日、ニュースにうつったのが見覚えのある風景でなければ、たびたび通るその場所にコインロッカーがあったことは、記憶のすみにもありませんでした。
そこに赤ちゃんがいれられていたということを知って以来、駅でコインロッカーを目にするたびにこの風景を思いだすようになりました。きっと、突然撤去されてしまっても、そこになにがあったのかもわからないような適当な場所。大切なものを入れようとはとても思えません。
自分の机で、ラップに巻いてきたおにぎりを食べながら開いたネットニュースでその事件を知り、当事者であるおかあさん(このニュースに関しては事件の加害者)の環境を知るごとに、あたたかかったおにぎりは冷たい鉛になっていきました。
もちろん、許せない気持ちになりました。ですが、たびたび引用する過去記事「#わたし、おかあさんになれない」で書いたように、母親になることに強い恐怖をもっているわたしにとって、まわりに相談をすることも考えられないままおなかに赤ちゃんがいる10ヶ月強と、その後のことを思うと、言葉が出なくなってしまうのです。
事件が起こったとき、そこにあるのは事件という現象だけではなくて、そこに至った人の人生です。
このおかあさんの人生が、いつか幸せであってほしい、と思いました。
あらかじめ世界中から負けていると確信していた
今年のはじめ、ある芸人さんの発した「ネットカフェの部屋を少しずつ狭くすればいい(=最終的に出ていくだろう」という発言を受けて「ネットカフェ難民になるかもしれない自分を想像できなくなったらこわい」という文章を書きました。
鬱になり、休職をし、スタバのコーヒーを持って公園で日がな過ごしていたが、貯金が尽きたら死ぬという恐怖で鬱もなおらず、スタバからマックへ、最終的にはトップバリューのペットボトルとスーパーのフードコートが居場所だったという内容なのですが、これを書いた当初、「無職のやつがコーヒー買うな」と言われるだろうなと思っていました。
しかし、予想に反して、そんなことを言ってくる人はいませんでした。自分もそうだった、こういうのある、という感想を聞き、驚き、胸をなでおろしました。それぞれの生き方があり、全員がわかりやすく成功しているわけでもなく、想像よりも世界は優しかったのです。
そして今回、議論を巻き起こしている「死んだら負け」という発言ですが、反論の声を読むたびに、ああわたしもまだやっていける、と胸に手をあてたい気持ちになります。
もちろん、その発言に救われたという人がいてもいいと思います。勇気づけ、奮い立たせることが必要な人もいるからです。でも、わたしには合わなかった。感じ方は十人十色です。
フードコートが社会との唯一のつながりだった日に、拳を握りしめながら「死んだら負け」と背中を叩かれていたら、わたしは踏みとどまれなかったかもしれません。
となりでパンを半分こしている親子の幸せ、野菜をカゴにいれるお財布の余裕、休憩が終わって仕事に戻るだろうショップ店員さん、スーツの上着をぬいでコーヒーを飲む男性、友だちと歩く制服の女の子、目にはいる人のなにもかもがうらやましく、机に置いていたトップバリューのペットボトルをただ眺めて過ごしていたわたし。
そもそも、自分はすべてにおいて自分は劣等だと確信していたからです。死んだように生きている毎日。あらかじめ世界中から負けていると確信していました。
事務的なティッシュの箱と、おせっかいな肉まんの皮のにおい
そんな状態のわたしを助けたのは、根性論と情熱よりも、逃げ道の情報・解決の手段でした。
メンタルヘルスの面では、うつ状態を通常の状態に戻す医療機関とのつながり。いちばん不安だった金銭面では、長期通院の医療費の負担額を減らす自立支援医療の申請。
受付で手続きの説明を聞いている間、書類の内容が頭に入って来ずに、「こんなこともできない、自分なんていないほうがいい」とパニックで泣き出したわたしに(いまおもえば単にうつの症状ですね)、事務的な職員さんは片手でティッシュの箱を差し出しながら、「ひとつずつ説明しますね」と、これから必要なものを箇条書きにまとめてくれました。そのドライさに少しほっとしました。愛情よりも、早急で明確な救済制度のほうが何倍も重要だったからです。
進んでいく手続きを目の前に、「まだ生きる手段があるんだ」と思うと安心して、また涙が出ました。
帰り際、その職員さんは、テーブルにちらばったティッシュのゴミを持って帰ろうとしたわたしに、「こちらで捨てますよ」と声をかけてくれました。淡々とした手続きにより、先の不安が少し落ち着いたところで、わたしはやっと人の感情を受け入れる小さな余裕ができたのです。
区役所を出て、ひさしぶりにコンビニに寄って肉まんを買いました。
店員さんは、一番ちいさなビニール袋にいれようとしましたが、「そのままでいいです」と声をかけると、いったん渡そうとしてから、「おしぼりいりますか?」と引き出しを開け、肉まんをひっこめてしまいました。
ズボラなのでおしぼりは特にいらなかったし、早く肉まんを受け取りたかったのですが、その思いやりになんとなく優しい気持ちになり、コンビニのゴミ箱の前であつあつの肉まんを持ちながら片手ずつおしぼりで拭いて、「こんなことなら袋をもらえば良かった」と思いました。風がふくと、肉まんの皮のすこし甘いにおいがします。
目を向けるべきは、死にたいと思う感情ではなくて、死にたいと思う原因
わたしにとって会うと元気になる人は、「いつも強い姿勢で背中を押そうとする人」ではなく、「なんだか優しい気持ちにさせてくれる人」です。「なんだか」というのが重要で、道徳的なお話を聞いた時に熱を持って感じる「優しい人になろう!」というものや、率先して「困っている人を助けよう!」というものではなくて、あつあつの肉まんの皮の部分のにおいをかいだときのような、ほうっとため息が出るほのあたたかい気持ちのことです。
きっとあの店員さんは、すごくいそいでいる人にも、「おしぼりいりますか?」と肉まんをひっこめてしまうのだろうと思います。ときどき、怒られたりもするかもしれません。けれど、なんだか優しい気持ちになりました。
ものごとの基準が、「いちばん頑張っている人」(つまり、「いちばん無理をした人」)になってしまったら嫌だなと思います。
戦う人は戦う人でもちろん素晴らしいことですが、戦わないわたしの暮らしのことも素晴らしいものであってほしいし、どちらかを見下さないでほしいのです。気恥ずかしい感じもしますが、それぞれのわたしたちの暮らしは、同じ温度で等しく尊いと本気で思っているからです。頑張れる日、頑張れる環境、そして、頑張れない日、戦わない日のわたしたちの生活。あの日、フードコートでトップバリューのペットボトルを買うのがやっとだったわたしの暮らしも、ちゃんと尊かったのだと思いたいのです。
そして、感情で論点をずらさらないでいたい。
「死んだら負け」ではなく「どうしたら自殺をしなくてよくなるか」に目を向けていたい。
人生は、芸術作品でもないし勝負事でもないからです。傷つけられてもいい人はいません。まずは死ななくてはいけない状況を解決してから、お話はそこからです。
こういったことを書いていると、「そんなことをしても変わらないよ」と言われることがあります。そんなの、言われなくても十分身にしみているし、わたしだって不毛です。それでも、ときどき諦めそうになりながら、「そんなこと」を発していくしかないのです。
これからも、「命は等しく尊い」と言い続けるつもりですし、書き続けていきますが、ほんとうはこんな当たり前のことをいちいち書かなくて良くなりたいです。好きなアイドルにだけ「尊い...」と言って、キンブレを振っていられる平和な世界で生きたい。そのためには、言い続けるしかないのです。優しくなれない日があっても、そう願っていることだけは忘れないでいられるように。
(成宮アイコ・連載『傷つかない人間なんていると思うなよ』第二十三回)
文◎成宮アイコ
https://twitter.com/aico_narumiya
赤い紙に書いた詩や短歌を読み捨てていく朗読詩人。
朗読ライブが『スーパーニュース』や『朝日新聞』に取り上げられ全国で興行。
生きづらさや社会問題に対する赤裸々な言動により
たびたびネット上のコンテンツを削除されるが絶対に黙らないでいようと決めている。
2017年9月「あなたとわたしのドキュメンタリー」(書肆侃侃房)刊行。
【関連記事】
●人をおとしめても自分の位置はあがらない。給食の時間に「2センチの離島」にされた気持ちを一生覚えている。|成宮アイコ・連載
●コンビニでなにを買えばいいかわからない日、自己否定でズタズタにする前に。|成宮アイコ・連載
●都合がいい他人同士だからこそできること。酔っ払ったおじさんが忘れた『男はつらいよ』のこと|成宮アイコ・連載