消えた都市伝説「あげまん慶子」を探して コロナ禍と共にいなくなる謎の女性たち

バーでの慶子さん。

「約20年前の事だから、最早誰も知らないだろう」

そう思いながらも、新潟県一の繁華街の古町に降り立ちました。当時は繁華街の住民なら誰でも知っていると言ってよい有名人がいたのです。
「あげまん慶子」という女性です。

当時僕はワニマガジン社に勤めていた新人編集者でした。『アクションカメラ』という雑誌を出していた出版社です。企画でライターさんと全国の風俗街を回っていました。新潟にも出張しました。その際、キャバクラに行きました。何か面白いその土地の情報がないのかを確かめに。
「ねえねえ、この辺りで面白い話ってない?」とライターさんが聞きます。すると即座にキャバ嬢たちが「慶子じゃない?」「そうそう『あげまん』ね。『あげまん慶子』」と口々に話し出します。
「あ、あげまん慶子?」そのインパクトあるネーミングに思わず僕らは耳をすまします。情報を精査すると

 

・自ら「あげまん」と名乗っている「慶子さん」という女性がいる
・手製のビラを作って自転車で繁華街や駅前を「はい、あげまんでーす」と言いながら配っている
・ビラの内容は、「私とすれば運が上がります」(以下自粛)と携帯の番号が書いてある。新潟出身の元首相田中角栄氏もあげたという
・公衆電話(当時はまだ結構ありました)や男子トイレにそのビラが貼ってある
・ビラではなくマジックで公衆電話に携帯の番号が書いてある

 

ざっとこんな感じです。その時は僕らはビラを収穫。さっそく電話をかけると「はい、あげまんでーす」と中年女性っぽいハスキー声の人が出てきました。「あげまん」が屋号みたいなので可笑しさをこらえながら「ビラを見たんですけど」と言うと、「いくら持ってんの?」と言います。「あまり持ち合わせがないんです」と返事をすると「じぉあ、一万円で運勢を占ってあげる」との事。とは言え、取材時間が限られていたのと、ちょっと怖いので切り上げて東京に帰りました(取材の主旨とは違うので)。

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