なぜメディアスクラムは起きたのか 小山田圭吾さん問題「Quick Japan」を編集者目線で総括してみた

写真はイメージです。

もう、旬の話題ではないとは理解しつつも、先日ニコ生「噂のワイドショー」でプロインタビュアー・ライター吉田豪君とのトークがYouTubeにアップされたので、それを受けて一編集者として総括してみたいと思います。https://www.youtube.com/watch?v=dJ10ly5WR7c&t=301s
上記YouTubeの通り、吉田君は当初から小山田圭吾さん問題は「ロッキンオンジャパン」で悪ノリしたものをインタビュイー(この場合は小山田さん)のチェック無しで掲載(厳密に言えば著作権違反だと思いますが)し、それを読んだ当時はライターだった村上清さん(現・太田出版)が小山田さんにインタビューを申し込み、打合せの談話を「Quick Japan」(以下「QJ」)にてインタビューとして掲載。90年代悪趣味ブームと相まって、イジメを助長・面白がる記事として構成した結果、小山田さんが約20年間にわたって攻撃されているという「メディア内での立場」を指摘しています。

その後週刊文春の小山田圭吾さんインタビュー(インタビュアー・中原一歩さん)での回答が掲載され、吉田君の指摘と小山田さん記事を読むと、答え合わせが出来ている、という事で良いかと思います。

大前提として、小山田さんがイジメたり、傍観者だったりした事は事実なので、そこを擁護する気は全くありません。本稿はそれとは別の問題です。

版元の太田出版は、2021年9月16日に【1995年執筆記事「いじめ奇行」に関しまして】というタイトルで村上さんのコメントを掲載しました。

その前に、ですが、記事を執筆・掲載する際は、プロの編集者なら必ず「掲載動機」を頭に入れて記載します。商業誌における記事には公共性・公益性などが付帯します。これがないと、例えば「隣の家の掃除機の音がうるさい」といった個人的な理由での私怨記事も許されてしまう事になります。最近、「どうでも良い」との共通認識が世間に広がっている芸能人の不倫記事は、芸能人は「準公人」あるいは「みなし公人」とされているからです。ですから例え建前であっても商業誌には公共性・公益性、真実性があるものを掲載する訳です。

ではこの記事の掲載動機は何だったのか。

今回の「QJ」記事の掲載動機を村上さんの「コメント」から読み取ると、
・記事の目的はいじめを助長されたりするものではなかった。(文中では「いじめを支持したり、ましてや揶揄する意図は、当初から全くありませんでした」と掲載)
・「いじめはやめよう」と言った言葉をどれだけ重ねても現実のいじめはなくならない
・元々の企画は「いじめ側といじめられた側の対談」だった
・「毒には毒をもって対するしかない、当時は考えた」(文中より)
・「いじめってエンターテイメント!?」という記述は皮肉・反語

あとは炎上のきっかけとなったブログに対する「切り取り」への指摘です。
上記の僕の箇条書きも「切り取り」と言ってしまえば「切り取り」なので原文URL
を貼り付けておきます。https://www.ohtabooks.com/press/2021/09/16200000.html

コメントを読んでまず、思ったのが「週刊文春の記事を受けて反省の文を出す」という事について。その前に出すべきだったのでは、という対応の不味さ。あるいは潔くはない態度に疑問を抱きました。なぜ、ここまで引っ張ってしまったのか。反省文を読むと、なるほどそういう意図だったのか、と納得はしました。が、それを読んで改めて、「QJ」記事を全文読んでみました。
どうした事でしょう。反省文のようにとてもではないですが、これが「いじめをなくそう」とした記事なのか。全くそうは読めませんでした。

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