石原慎太郎が沖ノ鳥島上陸で見せた余裕の無さ 「岩じゃない!小さい島なんだよ」記者に怒りをぶつけた元都知事のパフォーマンス 

72歳のダイブ。

 

作家として政治家として、高度成長期から令和の時代まで、世の中の注目を集め続けた石原慎太郎氏が亡くなった。89歳だった。
慎太郎氏は僕個人からすると間違いなく大恩人。都知事時代、彼が沖ノ鳥島視察を実施しなかったら僕が沖ノ鳥島へ行くことはなかった。もし沖ノ鳥島に行かなかったら、国境をテーマに本を書こうと思い立ったり、尖閣へ興味を持ったりすることはなかったかもしれないのだ。

慎太郎氏の手法は一貫していた。タブーに挑戦するような小説を書いたり、派手なパフォーマンスで世間を驚かせたり。または「三国人」「厚化粧のババア」「震災は天罰」「我欲」など刺激的・差別的なことを言ってのけて世の中をザワザワさせたり……。そのようにして、長らく世の中の注目を集め続けた。
国境問題というなかなか顧みられない問題を世の中に、警鐘し続けた人でもある。

今や中国の海警局の艦船が押し寄せる尖閣諸島に最初に灯台を建てたのは慎太郎氏だ(1978年、大学の探検部の面々を派遣し建設させた)。2012年には、20億円近くの購入資金を全国から募り、東京都が尖閣を地主から買い取ろうとするのを主導したのも彼である。
悪目立ちして世間の耳目をあつめる一方、国土や領土に強い思いを寄せ実際に行動する――そんな慎太郎氏の態度は、都知事になってからも現れている。
例えば2005年5月に行われた沖ノ鳥島視察がそうだ。

沖ノ鳥島の排他的経済水域を認めず、「沖ノ鳥島=岩」と主張している中国。それに抗議し、実効支配していることをアピールするために、慎太郎氏は1700キロ以上も離れている沖ノ鳥島への視察を実施したのだった。
そこには僕も記者として同行している。当時、間近で目撃した慎太郎氏の態度を以下、振り返り、彼の胸の内を推理してみたい。

※沖ノ鳥島――東京都心から南西に1700キロ以上離れた日本最南端の無人島。海底から1000メートル以上もある山の頂上付近だけがリング状に海面に浮いている環礁で、そのリングのなかは深さ数メートルの浅い海。最大4畳半分ぐらいの陸地がいくつか浮いていて、これらがすべて水面下に沈んでしまうと、日本の陸地面積以上の排他的経済水域(沿岸から200海里の水域から領海を除く部分。沿岸国に生物・非生物資源の探査・開発に関する主権的権利が認められる/広辞苑7版)が認められなくなる。

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