将門の強大な力は現代にも生きていた!? 新説、東京は呪いの霊力に動かされている!|Mr.tsubaking

今回は「平将門の呪い」に関するスポットです。本題の前に、東京大手町にある「将門塚」についてお話しします。

将軍塚

承平天慶の乱で敗れた平将門は、その首を京都で晒されました。しかし、体を探して東の方角へ飛び去っり、その首が落下した場所に建てられたのが、この将門塚なのです。

時代は下り、大蔵省が将門塚を取り壊して、その上に仮庁舎を建てました。すると、当時の大蔵大臣をはじめ14名もの官僚らが死亡。さらに第二次世界大戦後、GHQはこの場所を駐車場とする為に工事をすすめていましたが、事故が相次ぎあえなく手を引きました。その後も、供養を行わずに隣接地にビルを建てる工事を行った際、ケガ人が続出し2名の死者まで出ており、しかもその2名が同じ苗字だったといいます。

こちらもオススメ:サヨナラ平成! ありがとうガラケー! 「ガラケーの墓標」で平成に別れを告げる|Mr.tsubaking