いま「避妊具自販機」って激減してる? 既に“大人になっていた”平成を振り返ってみた|中川淳一郎

あれは大学3年生になる直前の春休みだった。21歳だった僕は(青春物語風なので「私」とか「オレ」と言ってられない)、孤独と寂寥の真っただ中にいた。最も仲の良かった友人が留年をすることとなり、彼は東京・小平のキャンパスに残留し、僕は東京・国立のキャンパスに進学することとなった。春休みで帰省する友人だらけだったため、誰とも会わない日々が続いていた。それでももしかしたら誰かに会えるかも、と国立の大学通りで満開の桜の下、キリンの「春咲き生ビール」を飲んでいた。

あの頃は「季節限定ビール」がよく登場しており(って、これもネタになるじゃねーか!)、春咲き生ビールのCMでは忙しそうに街を歩く大塚寧々の前に突然桜の花びらが舞い落ちてくる。そこで大塚は「あ、春……」と気付く。恐らく、季節感を失うほどの状況になるほど社畜状態で猛烈に忙しかったが、桜の花びらにより春が到来していたことを気付く、という演出だろう。そこから場面は休日の午後、仲間とワイワイホームパーティをするシーンに変わる。EPOの「う・ふ・ふ・ふ」の軽快なメロディに乗せ、先ほどまでのシリアスな表情から笑顔の大塚が「春ですから」とビールをガンガン飲むというCMである。

この、冒頭の孤独な大塚と自らを重ね合わせては、春咲き生ビールをつまみなしで一人飲む僕は、限りなく人との会話と肌の触れ合いを求めていた。

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そんな中、同じような状況にいたのが智子だった。智子は別の大学に通う同級生で、僕と同様に友人のいない春休みを送っていたことから、パーッと飲みたくなったのだという。彼女とは2年ほどの付き合いだったが、時々大勢の飲み会では一緒になっていた。初めてのサシ飲みとなったが、行ったのは下北沢の「F」というバーだった。人と会うのが久しぶり同士の会話が盛り上がらないわけもなく、僕たちはハイネケンの瓶を次々と頼み、店が閉店時刻を迎える午前2時の段階で、36本のハイネケンを開けていた。

とっくに終電は終わっており、僕と智子はなだれかかりながら夜道を歩き、2駅先の駒場東大前の東大キャンパス内にある駒場寮の部屋を目指した。ここは下北沢で飲む時の泊まり場所になっていたのだ。部屋に着いたら、住民のYという男がいた。