吉展ちゃん誘拐殺人事件 東京オリンピック前年に発生した凶悪事件の遺体遺棄現場にて|八木澤高明

遺体が発見された円通寺に足を運んでみると、寺の僧侶が遺体が発見された墓の場所まで案内してくれた。平塚八兵衛のドラマが放映されたこともあり、墓地には手を合わせに来る人が絶えないという。

吉展ちゃん遺棄現場(筆者撮影)

円通寺の境内には、戊辰戦争における上野の戦いの舞台となった寛永寺の黒門が移築されていた。今も黒門には弾痕が生々しく残っている。

戊辰戦争は上野の戦いの後、長州・薩摩藩を中心とする新政府軍と小原の出身地福島県の会津藩を中心とした東北諸藩との戦いになり、会津藩は新政府の軍門に下ることになる。さらには、平安時代の奥州合戦で源義家が、奥州で討ち取った蝦夷の首塚もこの寺にはある。

そもそも円通寺の開祖は蝦夷を討伐した坂上田村麻呂であり、東北との因縁が深い。福島出身の小原保がこの寺で子供を殺めたことが偶然ではないように思えてくるのだった。(写真・文◎八木澤高明)

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