自分は処方箋をもらう権利なんてないし、人一倍に性格がだらしないだけかも…という不安の先|成宮アイコ
<みんなはちゃんと大変だけど、自分はだらしないだけかも>
同じような症状の人の話しを聞くと、みんな大変そうです。共感しつつも、みんな人生と生活がうまくいくといいなと思うし、心配にもなります。みんなはちゃんと大変だし頑張っているし困っている、だから通院をする意味があるし薬を飲む権利もある。
だけどわたしの場合はどうだろう。ただ、人一倍に性格がだらしないせいかもしれない。そうだったら申し訳ないし、つらいだなんてとても言えない。
そうやって、自分の困っているレベルに疑問をいだいてしまいます。
「みんなは大変だけど、わたしはできることすら怠けてしていないだけなのでは」「みんなは大変だけど、わたしはたいへんがっているだけなのでは」「みんなは大変だけど、わたしは困っているふりでサボりたいだけなのでは」確かにものすごく毎日困って悩んでいたはずなのに、つい、自分にはそう思ってしまうのです。
困り具合は数値化できません。
性格や思考を調べるためのチェック表だって白紙です。なぜなら、わからないから。
自分の性格が、自分が思っているだけで現実はそんなことないのかもしれない、と心配なのです。だって、元気な性格が必要な場所ではそれなりに必要なレベルの元気な人になれるし、落ち込みやすいと思っていても、他の人はもっと傷ついて落ち込みやすくて自分なんてたいしたことないのかもしれないし、自分のことなんてなにもわかりません。いや、もしくは、「基準値がわからない」のかもしれません。
頭が痛くても、他の人はもっと痛いかもしれない。困っていても、ほんとうの「困っている」というのはもっとたいへんなことを指すのかもしれない。それを永久に考え続けて、なにを言ったら許されるかがわからなくなります。
精神的なものも、体重計や血圧計のように、自分の意思とは関係なく自動で数値化されればいいのに。
「つらいレベル80%、はい、十分たいへんなので通院の値に達していますよ、安心して通ってくださいね」なんて言われたい、そうしたら自分のことも許せるのに。
白紙のチェック表を見ながら、息がつまりました。
「わたし、処方箋なんてもらう権利あるんでしょうか」
書類をうけとりながら、診察室で声に出てしまいました。
「あるある、ありますよー」先生はびっくりたように目を見開き、わたしのほうを見て言いました。「これを受付に出して、それから保健センターに持っていってね」そう言われて受け取った苦手な書類。どうせ読んでもわからないし、今の精神状態で何度も確認しながら書くのつらいなぁと思っていたら、必要項目はもちろん、わたしの名前や住所欄も全て埋まっていて、わたし自身は受付の人と一緒に、指差し確認をするだけになっていました。