柴又女子大生殺害事件 犯人による痕跡がこれだけあるにもかかわらず未解決となった“三大コールドケース”の一事件
事件が起きたのは、一九九六年九月九日のことだった。この日はどんよりとした空模様で、朝からしのつく雨が降り続いていた。
被害者の小林順子さんは、上智大学の学生で二日後にアメリカ留学を控え、この日、父親は出張中、姉は仕事のため外出していて、母親と二人で家にいた。母親は午後三時五十分頃パートに出かけたこともあり、ひとり留守番をしていた。彼女がひとりとなってから、約五十分後の午後四時三十九分、家から火の手があがった。その時すでに、彼女は何者かによって命を奪われていた。午後六時ごろになって火は消し止められ、消防隊が家の中に入ると、二階の六畳間で順子さんの遺体が発見されたのだった。
果たして、誰が彼女を殺めたのか。犯人は順子さんの部屋にあったトラベラーズチェックや預金通帳にも手をつけず去っていたことから、物盗りの犯行とは考えづらかった。さらに不可思議な点もある。一階の部屋から旧一万円札一枚が無くなっていたことや、普段父親が使っているスリッパが、二階の部屋の入り口に揃って置かれていたことである。