『表現の不自由展・その後』はなぜ中止になったのか 表現の自由の“向こう側”にあるものとは|久田将義

「表現の自由」は憲法21条で保障・明記されています。表現の自由の中には言論の自由(批判・批評の自由)も含まれています。

そこであえて極論を言います。表現の自由とは「何を表現しても良い」のです。それがどんなに不快なものだとしても。また、プロパガンダ的なものでも、です。

つまり、表現の自由とは実は残酷な面もあるというのが事実と捉えています。日本においては例えば戦前の言論弾圧での悲劇が起きたように(小林多喜二事件など)、「表現の自由」を先人は選択し、僕らもこの「自由」を享受しています。

が、しかし。

表現の自由の裏側には暴力が存在していた歴史が、厳密に存在します。

・作家深沢七郎の小説「風流夢譚」で昭和天皇を侮辱したとして、版元の中央公論社を右翼が襲った。関係のない家政婦の方がお亡くなりに。
・「噂の真相」編集部に天皇家を不敬だとして右翼が抗議、傷害事件に発展。

等々、他は割愛しますが、これが「現実」です。暴力は恐怖です。表現の自由と位相は異なりますが、僕も「実話ナックルズ」編集長や「月刊選択」次長時代に様々な人から、様々な恫喝や脅迫を受けました。その時の感情は恐怖以外の何者でもありませんでした。PTSDになっているかも知れません。

こうした経験から学んだのは、もしかしたら言論の自由という先人が身体を張って産み出した「表現の自由」の向こう側には暴力という恐怖の装置が存在するかも知れない、という想像力が必要なのではないか、という事です。

参考記事:RADWIMPSの『HINOMARU』が「愛国的だ!」と批判 いったい誰に謝罪しているのか | TABLO