ろくでなし子氏と北原みのり氏逮捕に「ざまあみろ」の声が上がる背景
芸術家のろくでなし子が再逮捕され、今回は支援者である北原みのりも逮捕された。 ろくでなし子の場合は、前回の逮捕時とは別の人物へ3Dプリンター用の性器データを頒布したとしてわいせつ物頒布の容疑。また北原の場合は、自身の経営するショップにろくでなし子の性器を模した作品を陳列したとしてわいせつ物陳列の容疑で逮捕に至った。
前回のろくでなし子逮捕騒動の際に、北原ら支援者は「ろくでなし子作品は芸術! 二次元作品が野放しになっているのに芸術作品がわいせつ物扱いされるのは不当だ!」といった論調で抗議していたが、今回の逮捕によって芸術か否かなど判断材料になっておらず、警察の視点で見れば単なる違法行為であると断定された形となる。
※参考リンク
・ろくでなし子逮捕は新技術に対する威嚇か? 女性器3Dデータ配布騒動
http://tablo.jp/case/society/news001580.html
・オタクは規制、芸術はOK…ろくでなし子事件で「自称フェミ」がトンデモ大暴論
http://tablo.jp/case/society/news001589.html
この件について、ネット上では様々な意見が挙がっているが、やはり北原らに対する「ざまあみろ」という意見が数で上回っているように見受けられる。それもそのはずで、彼女らはこれまで「オタクは気持ち悪いから規制して当然」といった論調を張っていた訳で、どう考えても表現規制賛成派だったのである。それが今回は警察の判断により性表現に関する法律に違反したとして逮捕されたのだから、彼女らの主張をそのまま擁護する事は至難の業であろう。
しかし、そうは言っても前回のろくでなし子の逮捕もそうだったが、今回の北原を含めた逮捕についても、逮捕・勾留の必要はないだろうと警察の横暴さを批判せねばならない。なぜ身柄を拘束する必要があるかといえば、逃亡や証拠隠滅の可能性があるからで、それがないならば勾留する必要はない(やってはいけない)のである。 現在の日本の警察はこの点を甘く考えすぎており、人権やルールに対する意識が極端に低いと言わざるをえない。 これは国民すべてが危機感を持つべき問題で、もし彼女らの主義主張を批判したかったとしても、警察の無茶苦茶さへの非難を忘れ、彼女達への罵詈雑言で終わってしまっては、いずれ自分達の身に火の粉が降り注ぐ結果になり兼ねないのだ。
さて、私の口から北原らを擁護できるとすればここまでで、逮捕が不当だったとしても、今現在の法律では彼女達のやった事は立派な違法行為なので、その分の罪滅ぼしはしてくださいねとしか言えない。芸術うんぬん以前に我が国は法治国家である。
彼女達が自身の主張を世間に伝え広めたいのであれば、まずは刑法175条の改正なり廃止なりを目的とすべきだったように思う。刑法175条はわいせつに関する条項で、本来は世の中の性に関する道徳観念などが乱れる事を防ぐために定められたと考えられる。ところが、今となっては単に「男性器や女性器を隠すための法律」と化しており、わいせつや社会通念といったあやふやな定義でナタを振るわれてしまう何かと問題の多い存在だ。
北原やろくでなし子が社会運動めいた行動をしたいのであれば、まずはこの欠陥だらけの175条をなんとかしてから、芸術だなんだと二の矢を放つべきだった。それをせず堂々と犯罪行為をはたらき、なおかつ警察を挑発するかのような言動を繰り返したのだから、今回の逮捕は致し方ない面が大きい。
しかし、彼女達が175条自体に触れない理由も解らなくはない。というのも、175条の改正や廃止が現実の物となれば、彼女らが忌み嫌うオタクコンテンツも同時に無罪放免となってしまうからだ。しかも、北原らは実在する女性の性器を解放せよと叫んでいるのに対し、オタクコンテンツは絵やフィギアといった無機物が対象である。加えてマンガ・アニメ・ゲームといったコンテンツは、他のレイティングが必要なコンテンツと同様に、すでに規制で雁字搦めにされており、北原らが言うような「ロリコンポルノが野放しになっている」という主張は大嘘だ。強いて言うなら、北原らの指摘が通用する対象は、なぜ規制の網をくぐり抜けているのか不思議なジュニアアイドルのイメージビデオくらいなのだが、これは三次元作品なので二次元作品とはまったく無関係であるし、私もジュニアアイドルコンテンツの暴走はもっと強く規制すべきだと思う。
さて、今の日本では、二次元系のエロコンテンツに触れたいと思ったら、自らの意思で隔離された販売場所へ入り込まない限りは入手・閲覧が不可能である。この状況はどう好意的に解釈しても “野放し” とは呼べない。早い話が、175条に照らし合わせて考えると、ハナから北原らの方がやっている事が危うかったのである。
よって、マンガやアニメではなく、ろくでなし子や北原の方が優先してヤラれたという事実は不思議でもなんでもない。彼女らの支持者は「安倍を批判したからだ」等の陰謀論を唱えているが、それ以前にいくらでも理由があるのだ。 まずはこの事実を正しく認識すべきだろう。
このように、忌み嫌う二次元エロコンテンツよりも、自分達の方がよりアウトに近い場所にいるのだから、仮に175条の内容が変わる時が来るとしても、三次元の方が後回しにされ、二次元の方がいち早く身軽になってしまうかもしれない。同じ表現というフィールドでオタクコンテンツに石を投げていると旗色が悪いので、芸術だなんだと取って付けたような理由を挙げているのが自称フェミ一派の特徴なのである。これでは迂闊に175条にメスを入れろと叫ぶ訳にはいかないだろう。
北原・ろくでなし子両氏を支援しているフェミ界隈の方々に申し上げたいのは、いざ「vs表現規制」となった場合は、ひとまず個人的な嫌悪感を忘れ、”表現” という言葉の指す範囲の広さを認識して欲しい。「自分達の表現は芸術だから規制は不当だけど、自分達が嫌悪感を抱いているコンテンツは根絶やしにすべき」というあなた方の主張は単なる差別である。また今回の件で可視化されたはずだが、表現規制の流れが加速すれば、真っ先に危うくなるのはあなた方なのだ。こうした点を踏まえた上で、今後どのような言葉を発するべきか考えていただきたい。
今考えねばならないのは、まったく時代にそぐわなくなっている刑法175条(わいせつの基準)をどうするかではないだろうか?
Written by 荒井禎雄
“表現”差別は見過ごせない。