パソコンがなかった時代の仕事のやり方とは “カタカタ”が苦手な上司は音読 情報共有は「会う」ことだった|中川淳一郎

・海外に連絡をする時は「テレックス」とやらを使っていた(これは私もなんだか分からない)

・国際電話をする時は砂時計を使っていた(通話時間が長くなるととんでもなくカネがかかるため)

・「Mac屋さん」という人が部署に1人常駐し、MacintoshのPCを使い手書きの企画書を「クラリスワークス」というソフトで活字に変えていた

・得意先でのプレゼンをするにあたっては、カーボン用紙で手書きの企画書で量産していた。(これはさすがにコピー機の大普及以前の話だろう)

・全員で一気に情報共有をするには「会う」しかないため、ある程度仕事の話をしたらあとは酒を飲みに行っていた

・データが存在しないので、「言った言わない」の話になることばかりで、結局立場が上の人が様々なことを覆すことばかりだった

 

◆フロッピーディスク、MOの時代もあった

 

この手の話で私が一番好きなのは、当時いた部署の局長・S氏の話だ。今であれば、企画書は別のクライアントに使ったものを会社名等を変え、ある程度カスタマイズすることで使いまわし、準備不足を補うことが可能だ。だが、手書きの時代は安易に企画書を作ることは難しい。ある大事な競合プレゼンの前日、S氏は酒を飲み過ぎてしまった。いや、前日というかプレゼンの直前まで酒を飲んでいたため企画書を作るのは時間的に無理である。

そこでS氏が取った奇策は「企画書づくりを諦める」ということである。彼は重要得意先の元へ行き、こうぶちかました。「今日は企画書はありません」。これには相手も仰天するが、S氏はこう続けた。