あの時代、男たちはなぜ電車の網棚に読み終えた雑誌や新聞を置いていったのか 平成大人の暗黙ルール|中川淳一郎
雑誌調達人たるホームレスにとっては駅の間隔が短く、グルリとまわる環状線の山手線は最高の“漁場”だったのではないだろうか。たとえばJR中央線に乗ってしまった場合は、「東京―立川」で雑誌を漁っても途中からは捨てられている数が減るだろうし、何しろ間隔が開いてるから効率が悪い。
山手線の場合は、たとえば新橋を根城としている人であれば隣の有楽町で降りてあとは歩いて新橋まで雑誌を渡す、といったことをしていたのかもしれない。ホームレス同士で「有楽町の方が浜松町よりもずっと近いからそっちを利用した方がいいぞ」なんて情報交換をし合っている様も想像できる。
当時出版業界で働いていた人々はこの光景を見て「オレが必死に作った本をこんなに激安で売りやがって……」と思っていたかもしれない。こうした時代の少し後、私も雑誌作りを経験するようになったが、網棚に新聞や雑誌がすっかり置かれなくなった時代が少し寂しくも感じるようになっている。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)
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