スマホも携帯もなかった時代「俺たちにはテレカが命だった」 やがて“イラン人”偽造テレカ 対 NTTの闘いが勃発|中川淳一郎
1993年になるといい年した大人も買っていた。私はJR新宿駅の南口近くの構内の「銀座コージーコーナー」で洋菓子販売のバイトをしていたが、毎日同じイラン人がJR中央線の階段のあたりで「テレホンカードォォォォ~~」とやっていた。私にもウインクをして「買わないか?」と意思表示をすることもあった。
かくして一世を風靡した偽造テレホンカードだが、NTTもさすがにこの問題を看過できず、電話の改良を施した。偽造カードを入れても「ピピーっ」と鳴って外に吐き出されてしまうのだ。すると偽造側も技術革新を行い、新型の偽造カードを出す。
そして、ついにNTTも改良を本格化し、緑色の公衆電話ではなく、灰色の公衆電話を世に送り出す。これは偽造カードを容赦なく吸い込んでしまうものである。かくして「偽造テレホンカード vs NTT」の闘いはNTTの勝利に終わり、それと同時に街角から偽造カード販売のイラン人も消え、以後爆発的な携帯電話の普及に繋がるのである。(文◎中川淳一郎 連載『俺の平成史』)
あわせて読む:拷問! PCなき平成初期の雑誌作り 誰もが興奮した紙メディアはこうして作られていた(私が編集したページ付き)|中川淳一郎 | TABLO