スマホも携帯もなかった時代「俺たちにはテレカが命だった」 やがて“イラン人”偽造テレカ 対 NTTの闘いが勃発|中川淳一郎

確かに携帯電話が普及してから物心がついた若者にとっては公衆電話の使い方など分かるわけがない。また、かつてはアイドルのテレホンカード等が高値で売買されていたことも知らないだろう。

今のように携帯電話もメールも一般には普及していなかった平成の初期、若者が恋人と連絡を取り合うのに使ったのは公衆電話だ。実家に住む者は家族から「いい加減に長電話はやめなさい」と言われるし、話す内容を聞かれたくもない。となると、冬の寒い中、近所の電話ボックスにかけに行こうとするのだが、幸せそうな笑顔を浮かべた男か女が中にいる。

しばらく外で待っていても終わる気配がない。そこで自転車に乗って住宅街の穴場公衆電話でようやくその日、恋人に電話をかけられたのだ。「21時ぐらいには家に帰ってるからその頃電話ちょうだいね」などと電話をかけるにしても時刻指定もあった。

テレホンカードが登場する前は同じ区域であれば3分10円で喋れたが、長距離電話の場合は次々と10円玉を投入する必要があった。長時間話せる100円玉はお釣りが出ないため、10円玉を高く積み重ね、時に3枚まとめて入れたりする人もいた。

いちいち10円玉にくずすのも面倒くさい時に登場したテレホンカードはまさに昭和の大発明だった。それが平成になっても活発に使われていたが、これも当然長距離電話だと最初「105」(1000円で買うと1050円分使えた)で始まるのに、ガンガン数字が減り、70ぐらいになると「うぎゃー、もう3分の1も使っちまった!」といった状態になっていた。

テレホンカード代は当時の若者にとっては死活問題だったが、そこに登場したのが偽造テレホンカードだ。バブル期、絶好調の日本経済を背景に海外から労働者が多数訪れていた。イラン人がガテン系や飲食店の仕事をするなどしていたが、バブル崩壊とともに彼らは職にあぶれることになる。

上野公園にはイラン人が大量に集い、「なんだか怖い」といった目で見られていた。私は1992年(平成4年)にアメリカから日本に帰って来たが、約5年ぶりの日本では、かつて見ないほどイラン人が多かった。そんな彼らがこぞって参入したのが「偽造テレホンカード販売」だ。

参考記事:あの時代、男たちはなぜ電車の網棚に読み終えた雑誌や新聞を置いていったのか 平成大人の暗黙ルール|中川淳一郎 | TABLO