謎の阿比留文字 一体誰が何の為に作ったのか? 京都の鬼門、金毘羅山にある石碑と石柱 一見するとハングル文字に見えるのだが…

ハングルにも見えるが阿比留文字との事。が、謎だ。
ハングルにも見えるが阿比留文字との事。

筆者の調査では、石碑と石柱は作られた時期が違う。石碑は1980年頃からあるが、巨大な石柱は1990年以降に出現し、二代目だった。目撃者によれば、最初の石柱はハングル文字が刻まれており、今よりも小さかったそうだ。初代の石柱が倒壊したか、引き抜かれた後に、二代目の石柱が建っていたという。

璽宇は、1984年に璽光尊が死んだ後は、宗教活動をしていないので、石柱を璽宇の信者が建てたとは考えにくい。

ある人は、韓国の風水師の仕業ではないか、と疑う。韓国では『日帝風水謀略説』に基づき、韓国の山から”日帝の呪いの鉄杭”を引き抜く『歴史立て直し事業』が行われてきた。

彼らが日本に出張し、”お返し”をしてくれたのではないか、と言うのだ。たとえそうだったにしろ、植民地にキリスト教を布教した列強の帝国主義を見習い、ソウル市に朝鮮神宮を創建、日本の神や天皇を祀って現地の人々に参拝させたのだから、お互い様と言えよう。

まあ、風水を信じない現代の日本人に験があるのかは、神のみぞ知るところだ。(文◎品幽子)

 

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