「見ていた人こそ当事者だ」と思った日のことを「バイバイ、ヴァンプ!」の記事コメントで思い出した|成宮アイコ

エンターテイメントは人を傷つけてもいいのか

 

ショックな気持ちが少し落ち着いてから、「あのときはほんとうに嫌でした」と伝えたところ、「あれはお笑いの手法の一種だから」と返されました。このときも、耳がキンと遠くなり、周りのざわめきが一瞬消えたように思えました。

あなたのエンターテイメントは人を傷つけてもいいものなのか。

どうしてあのできごとをいけないと思ったのか、なにがいやだったのかということを、わたしのできる限りの言葉で伝えましたが話しは平行線のままでした。そのうちわたしの気持ちは折れて、その人たちから距離を置くことにしました。

自分がどうしていやだと思ったのか、その気持ちを掘り続けることをもう頑張れなかったのです。

揶揄されたときに、どうしてそれがいやだと感じたのかが伝わらないとき、絶望的な気持ちになります。

つい、傷ついた自分が面倒臭い人だったかのように錯覚をしてしまったから。

 

たとえ、「当事者じゃない」としても

 

それでもわたしたちが「当事者じゃない」としたら。

クラスでそれぞれ右隣の席のひとの似顔絵を描くと考えます。

完成させたあとに、「これはエンターテイメントのパフォーマンスです」と笑顔で似顔絵をぬりつぶすように真っ黒のクレヨンでぐちゃぐちゃにされてしまったら。

自分がされた場合じゃなくても、わたしはきっと嫌な気持ちになると思います。そして、「それはひどいよ」と言うことは、「文句を言う人ってだいたい当事者じゃないよね」と冷笑されるようなことでしょうか。

それでもなお、「当事者じゃない」と思われたとして、もし身近な親しい人が、あるいは家族が当事者だったらどうでしょうか。「当事者じゃないくせに」と言わてしまうでしょうか。

 

わたしは、どうか、そうであってほしくはないと願います。