コロナは我々をタフにさせてくれるのか 米食からパン食に変わった平成の米騒動から学ぶコロナ後の生活|中川淳一郎
1997年の山一證券と北海道拓殖銀行の破綻、2001年の同時多発テロ、アフガニスタン戦争、イラク戦争など様々なヤバいことが発生し、そして現在のコロナである。大量のバッタにしても、『三国志』に登場する話でしかないと思っていたのだが、現実の世界でも発生してしまった。
というわけなので、この世は何が起こるか分からない。悔いのない人生を送るとともに、危機に直面しても「なんとかなるさ」と呑気に構えられる精神的タフさを皆で身につけようではないか。
なんて「青年の主張」みたいなことを書いてしまったが、話は米騒動に戻る。あの当時は米は今よりも高かった。今はブランド米であっても5kg1690円~1890円などで買えるが、当時はブランド米は10kg6000円はしていた。「自主流通米」なる米はもう少し安かったが、いずれにしても米が高い時代だったのである。
そんな時に突然米が不作になった。大学1年生だった私は学校帰りにスーパーへ行き食材を買うのが趣味だったのだが、どこに行っても米が売っていない。一人暮らしをする同級生の場合、実家がなんとか集めた米を送ってもらうなどしていた。
大学では「どこで米が買えるか」という情報交換をしていたが、その情報を基にその店に行くとすでに売り切れていた。売っていたとしても、10kg1万4000円というデラックス価格だったのである!
その頃、タイ米の輸入が始まり、「ブレンド米」なる米が売られるようになる。牛丼チェーンでもこの「ブレンド米」は使われ、「いつもと味が違う……」などと文句の嵐だった。
今年のコロナ騒動では、一斉にトイレットペーパーやティッシュペーパーが売り切れる事態となったが、今から27年前は米が売り切れたのだった。あの時雑誌ではパスタなど麺類をいかにして料理するかの特集が作られた。米の量をかさ増しさせるためのコンニャク製品も登場。あの手この手で米不足を乗り切ろうと努力していたのである。
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