灼熱のマンホールでザリガニを焼き猛暑を過ごす 東京・足立区で夏を満喫する子どもたち 「ここは発展途上国か!?」環七開通前夜

こういう自然の食材を食べることは当時珍しくなかった。足立区は、東京オリンピックが開催された1964年以前は少なくとも北千住から川向こう側はいたるところに東南アジアに匹敵するかのような自然の宝庫があった。自分が育った、島根、平野、淵江、中央本町あたりは、環七が開通する前はまさにここはカンボジア? と言ってもおかしくないくらい。

夕飯の味噌汁の具材によくお袋に頼まれて家の裏の草っ原からセリを取ってきたのをよく覚えている。たまのご馳走は近所の釣り好きのオヤジが釣ってきたふなや鯉などの川魚だ。近所中が集まりみんなで分け合った。今考えたら、川魚でよく食あたりしなかったものだ。

こんな話をすると嘘だろうと言われてしまうが、おそらく同時代で育った足立区民は皆共通の体験があるだろう。台風が来ると荒川が氾濫して、ボートや手作りのイカダで移動したものだ。台風後の家の庭にはカメや雷魚が流れ着き、我が家ではカメを飼っていた。

 

楽しみだったのは足立区民プール、確か今の足立区役所のあたりにあったはずだ。夏はほぼ毎日ここに入り浸って遊んでいたが、ここの鬼門は知らない奴らとの小競り合い。歳が一つ違うだけで、大人と子供ぐらい力に差があったので、何回も他の地域のでかいガキに脅かされていた。それでも大きな喧嘩にはならなかったから可愛いものだけど。

ちなみに自分は夏になるとよくオデキができてしまい、このオデキはプールに飛び込むとその勢いで破裂してすっかり帰る頃にはオデキが治ってしまっていた。思えば、自分のウミはきっと誰かの口に入ったんだろうな……。

そしてプール帰りに駄菓子屋でかき氷を食い、そしてチャリンコで池や原っぱに出向き、マッカチンを釣り、バッタやカエルを取りに行く。カエルは皮をむいて遊んだり、2B(花火で爆発する)で生きたカエルを爆破して遊ぶ。足立区のガキは残酷だった。

 

また、夏の道端でよく野良犬が交尾していたのを思い出す。何をしているかわからず、よく石をぶつけて遊んだものだが、いい所を邪魔していたようだ。

 

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