コロナ禍で格闘技界はどうなるのか 格闘技界一「熱い男」RIZIN榊原CEOインタビュー この状況で大会をやる事の意義とは
●会見での「RIZINに命を懸けています」の本意
――ところで、大会前の記者会見で榊原さんが、「恥ずかしいんですけど50いくつにもなってRIZINに命を懸けているんです」という主旨の事をおっしゃってたのが非常に記憶に残ってます。僕は全く恥ずかしくないと思いました。コロナの時期だから、RIZINの火を、格闘技の火を消さないっていう意味での体を張る、命を張るみたいな発言だったんですか?
「2015年に再スタートするときに、『命懸けでやる』って宣言したんです。それは40代前半でUFCにバイアウトすると決めた後悔がすごくあったからなんです。PRIDEの営業権を譲渡したことに対して後悔と罪の意識と、自分たちで作り上げたPRIDEの10年間の軌跡が自分の判断によってそのあと続かなかったわけですから。だからこそRIZINは命がけでやりきる覚悟を、最初の会見で口にした。その思いは今も全然変わっていないです」
――なるほど。そういう事なんですね。
「もっと紐解くと2007年の3月27日にロレンゾ・フェティータとダナ・ホワイトと3人で六本木ヒルズで会見をした時。いわば自分の娘を渡すようなわけで、その娘を受け取ったロレンゾが何て発言をしたか覚えている人なんて少ないと思うけど、こうでした。
『榊原さんから受け取った娘は、自分の息子であるUFCと同じように愛して大切にします』。
ですから、ウェットなものだったんですよね、PRIDEというものは。PRIDEという生命体を今以上に育み、そして続けていってくれるという約束だった。ただ、自分が契約上甘かったこともあり、そのあとアメリカで2年間、泥沼の裁判になるんです。そういうことも含めてPRIDEは34を最後に開催されることがなかった。私は『船を高速船に乗り換えた』とかカッコいいことを言いましたが、続かなかったじゃないかっていう自責の念がありました。それはいつ、何をしていても常に頭から離れることがないくらい、自分の心を占めていたんです。
そのなかでも笹原(圭一氏)たちが頑張ってDREAMがあったり戦極があったり、そういうのを傍目で見ていることはできたけど。いや、ほとんど見ないようにはしてましたけど。そこの根っこの部分があるからこそ、そこから一念発起して2015年にスタートするときにはそれなりの覚悟をしました。
まあ、50にもなって何かに夢中になって、『人生懸けてやります』って胸張って言えるものがあることのほうが僕は生きている感じがしていいな、と(笑)。
PRIDEの営業権を譲渡したあとの喪失感は、お金は持っていたけど、お金を見ていても幸せにならないんですよね(苦笑)。何かに夢中になって命を削って走り回ったり、苦労したりしていないと僕には幸せは感じられないっていうことを体感したわけです。
だからこのコロナ禍であっても自分が持っている財産も体力も時間も全部RIZINというコンテンツに注いで、日本国内から世界に届くようなものに、それがなるかならないかは別として全部を捧げると決めてやっているので、揺らぎはないですね。それで自分が果てたとしても、RIZINを次の世代にバトンタッチするぐらいのものにしたいと思っています」
――……榊原さんて熱い人ですねぇ。
「熱いですかね?(笑)」
――熱いと思います。
「暑苦しくない?(苦笑)」
――僕もたまに熱くなるんで大丈夫です。
「でも、冷静になってみるとこのコロナ禍の危機っていうのは自分たちが努力したからとか、選手やお客さんに協力してもらったから越えていけるかどうかわからないような、戦後最大の危機でしょ、GDPも含めて。これは全世界レベルで起きていることでもあるし。世の中の経済が落ち込む中でRIZINだけ力強く右肩上がりで成長していくなんてことありえるのかなとは思いますけどね」