ツイッター社は新機能「フリート」よりも差別表現の規制を何とかすべき|久田将義
ツイッターが旧2ch状態になって久しく思えます。最近フリートという機能を追加したようですが、一瞬のうちに話題にならなくなりました。そして未だにヘイト、差別表現、名誉棄損などは相変わらずはびこっていると言って良いでしょう。それでも、著名人や時に一般人もそれに対して脅迫罪や名誉棄損などで訴え、それが一定の抑止力になっているようでもあります。こういった、非人道的行為に関しては当局がどんどん取り締まれば良いと思います。
発信・報道する側にも問題はあるでしょう。しかし、言論の自由、報道の自由を脅かす真似だけは止めて頂きたいのです。
あえて挑発的なこと言ってみます。
「言論の自由とは何を書いてもいい。ただし、何を書かれてもいい」
もう一つ。
「イエロージャーナリズムが発展している国ほどその国の文化成熟度は高い」
イエロージャーナリズムは「見出しだけ煽情的、中身はスカスカ」といったイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。そして、大体が「三流誌がこういう事をしている」のだと。
逆に、イエロージャーナリズムが皆無であろう北朝鮮などに報道の自由はない訳で。であるならば、昭和の時代には電車の棚に置き忘れられていた夕刊紙にこそ、真実が書かれているという言い方もできるでしよう。
何を書いてもいい、という意見は普通、反対する人が多いと思います。以前、実は僕も心の中では反対でした。でも、それが本来の「言論の自由」という事ではないのではないでしょうか。