実は「日本語がペラペラ」だった韓国の大統領

北にも日本語の堪能なエリートはいたが、共産主義体制が成立したことで日本との交流ほとんど途絶え、エリートが日本語を駆使する場面もほとんどなかった。また、北部出身で日本に留学したエリートの一部は、朝鮮戦争と前後して南に逃れた。

さて、日本語の堪能な韓国の政治家と、韓国語のわからない日本の政治家の対話や交流が、どのようなものであったか想像してみて欲しい。韓国の政治家は、日本の新聞や書物を読んで予備知識を備えることができる。日本の政治家も独力ではできないが、専門家の助けを借りれば同じようなことができる。

面談の場ではどうか。料亭などの会食の場に、日本側は念のため、通訳を帯同していたとしよう。それでも、たとえば2対2とか3対3とかの複数で対座した場合、ひとりやふたりの通訳がすべての会話をフォローするのは不可能だ。しかし韓国側は、日本側のすべてのやり取りを自分の耳で拾うことができる。

また1対1で会った際には、両者はほとんど言葉の壁を感じずにコミュニケーションが可能だ。冗談も言い合えば、お世辞を言うこともあるだろう。相手が乗り気になっているときの言葉遣いや、逆に消極的な場合のサインも拾うことができる。

間違いなく、ある時代までの日韓の政治には、こういう場面が存在したのだ。