福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第2回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義)

2011年取材当時立ち入り禁止だった双葉郡。

第1回から続く2回目の記事になる。今まで証言されていになかった「フクシマ・フィフティ」のもう一つの声。約10年前にインタビューを敢行。取材相手の「マサさん」の仕事の都合上、当時は公開できなかった。が、今回許可を得る事が出来た。あの時「現場」では何が起きていたのか。まだメディアに出ていない真実の一端がここにある。これは何があの時起きたのか貴重証言である。(文責・久田将義)

福島第一原発事故 10年目で出て来た新事実 「フクシマ・フィフティー」のアナザーストーリー 第1回(インタビュアー│奥山俊宏、久田将義) 

 

■11日午後、地震と津波が発生

 

2012年2月29日にインタビューを受けた時点で彼は40歳台。福島県外出身で、高校を卒業して電気設備会社A社に入った。
振り出しは福島第一原発。その後、新潟県の柏崎刈羽原発に転勤し、再び福島第一に戻ってきた。福島第一原発での勤務が通算で20年ほどだった2011年3月11日。午後2時46分に東北地方太平洋沖地震は発生した。震源は福島第一原発から180キロ離れた三陸沖の太平洋の地底で、マグニチュードは9だった。

 

奥山:地震のときはどちらにいらして、どんな?

マサ:ぼくは11日の午後は事務所にいたんで。事務所はプレハブじゃないんですけど、そんなにしっかりした建物ではない3階建ての3階にいたんで、揺れはすごかったですね。

奥山:ふだんのお仕事的には、定期検査中のところの電気関係が主な。

マサ:そうですね、うちは、電気関係のことをとりあえずすべてにおいて。同じ業種の業者もいますんで、そこらへんを棲み分けする感じで、何号機はどこ、何号機はどこ、みたいな感じでずっと棲み分けができてるんで。その中で。やっぱり1F(いちえふ)ってもうできてるものなので、そういうメンテナンス的な要素しかないんですよね、仕事的に。あと改造と。改造とメンテナンスしかないんで。

奥山:地震が起こったあと、津波が来た。それはどういうふうにして知りました?

マサ:現場に行ってた人間がいて。その人間たちが徒歩で海岸のほうからずうっと上がってきて、「すげえことになってる」と。ぼくは見てないんですけど。事務所はけっこう高台のほうにあって。下のほうの現場に行ってた人間が徒歩で上がってきて、「すげえことになってる」と。

奥山:事務所は、協力企業が集まってるセンターみたいなところに?

マサ:そうですね、そういう企業棟というのが。

奥山:内陸側のほうに?

マサ:そうです。

奥山:そこに現場から戻ってこられて?

マサ:そうです。

奥山:4時過ぎぐらい、夕方ぐらいに?

マサ:そうですね。

奥山:それは津波ですごいことになってる、と。

マサ:そうです。

奥山:覚えてる言葉とか印象に残ってることは。

マサ:いや、やっぱり現場の人間は、あんだけの時間差があってよかった。津波が来るまで30分ぐらいありましたよね。地震で動けなかったけれども、とりあえず様子見てるうちに海がこう来るんで、「ヤバい、ヤバい!」って上がってきて。で、高台にいて、なおかつちょっと様子見てるときに、今度第2波。第2波は今度もっとデカいのが。もうそのときには、うしろも見ずに帰ってきたって言ってましたね。

 

【福島第一原発の1.5キロ沖合に設置された波高計によれば、津波の第1波は午後3時15分ごろに始まり、なだらかに高まって午後3時27分ごろに高さ4メートルほどのピークに達した。いったん波高は低くなったものの、午後3時33分ごろから再び急上昇し、これが第2波となった。波高計は午後3時35分に測定限界の7.5メートルを超える津波で破損。TBSテレビの映像記録によれば、午後3時36分22秒、福島第一原発の建屋(おそらく4号機のタービン建屋)に津波が激突し、波しぶきが垂直に立ち上がって建屋の高さを大きく超える様子が、福島県富岡町の小良ケ浜(おらがはま)の岬にテレビユー福島が設けていた「お天気カメラ」(定点の情報カメラ)によってとらえられている。】

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